http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/a440hz-66fc.html
↑クリックすればzeraniumのブログです。以下は転載した記事です。
ジョン・レノンを殺した狂気の調律A=440Hz(ヘルツ)とは?
はじめに 訳者まえがき
人々を熱狂させ、虜(とりこ)にする音楽。
しかし我々が熱狂する理由は、すぐれた音楽性でも、ミュージシャンのカリスマ性でもなかった・・・! このような可能性を示された私は大きなショックを受けました。なぜなら音楽に身も心も震わされることよりリアルなことはないと信じてきたからです。
人々を熱狂させ、虜(とりこ)にする音楽。
しかし我々が熱狂する理由は、すぐれた音楽性でも、ミュージシャンのカリスマ性でもなかった・・・! このような可能性を示された私は大きなショックを受けました。なぜなら音楽に身も心も震わされることよりリアルなことはないと信じてきたからです。
コマーシャルに使われる音楽が売り上げ戦略のために作られていることは明らかですが、問題はそのようなうわべにあるのではなく、その音楽の「周波数」に潜んでいるというのです。
レオナルド・ホロウィッツ博士は、「愛の周波数528Hz(ヘルツ)」の伝導師です。この528Hzの周波数はグレゴリオ聖歌の時代からその存在を知られていますが、しかしそのパワーのゆえに、ある一部の人々によって意図的に隠されてきました。
528Hzの音とはどういうものかというと、「1秒間に528回の振動」をします。
528Hzの音とはどういうものかというと、「1秒間に528回の振動」をします。
この振動が水や空気の振動、つまり音波として伝わり、我々の耳に音として認識されます。この音波を伝える速度は当然物質によって異なり、水中では大気中の5倍の速さで伝達されます。
我々人間の体も約80%以上が水でできているので、内部の水と大気によって伝達されています。また地球だけでなく宇宙にも多くの水が存在すると言われています。
528Hzの音楽を聴くと、あくびを催すようなリラクゼーション反応を感じます。また528Hzの音楽を用いた、チベット僧の瞑想中の生理的変化も研究されており、それによるとリラクゼーション反応は精神面と同時にホルモンの変化にも見られ、528Hzは心身の双方に働きかけます。
コルグ社のシンセサイザーに、6つの古代ソルフェジオ(音階)周波数と3つの周波数からなる9つの周波数を設定し、人体のチャクラを音で刺激して調整する音響療法を行なったところ、C=528Hzから始まる音階では、古代の音階周波数の「ソ」(741Hz)は、528Hzと調和せず不協和音を発しました。
コルグ社のシンセサイザーに、6つの古代ソルフェジオ(音階)周波数と3つの周波数からなる9つの周波数を設定し、人体のチャクラを音で刺激して調整する音響療法を行なったところ、C=528Hzから始まる音階では、古代の音階周波数の「ソ」(741Hz)は、528Hzと調和せず不協和音を発しました。
つまり741Hzは、平均律A=440Hzの場合のF#に相当するのではないかと疑われます。このA=440Hzの平均律の制定が、「デビルス・トーン」(悪魔の音)の知識に基づいて行なわれたことは間違いないとホロウィッツ博士は述べています。
また、人体に存在する7つのチャクラの一番下にある尾てい骨のチャクラを、C=528Hzで始まるスケールにチューニングすると、F#(741Hz)は喉(意志)と心臓(直感)の間を分断する位置にあります。
また、人体に存在する7つのチャクラの一番下にある尾てい骨のチャクラを、C=528Hzで始まるスケールにチューニングすると、F#(741Hz)は喉(意志)と心臓(直感)の間を分断する位置にあります。
ホロウィッツ博士は、741Hz(平均律=440Hz)の強要には、人間から超人的な直観力を切り離そうという意図があると言っています。
528Hzの持つパワーについては、以前から日本でも一部の人たちの関心を集めていましたが、日本語の情報がほとんどないことなどから、ごく限られていました。
528Hzの持つパワーについては、以前から日本でも一部の人たちの関心を集めていましたが、日本語の情報がほとんどないことなどから、ごく限られていました。
2011年大震災以後、原発事故により大量の放射性物質が放出されたことで、我々日本人は放射性物質との共生を余儀なくされています。
そこでにわかに注目されたのが、528Hzの「傷ついたDNAを修復する」働きです。
放射性物質により外部、内部から被爆すると、DNAが損傷します。損傷したDNAは、癌や白血病を引き起こします。その損傷を528Hzが修復するというのです。そのメカニズムについては、第12章に掲載されています。
「誰を愛するか、どこを愛するか、
なぜ愛するか、いつ愛するか、どう愛するか、
そんなことはどうでもいい。大切なのは、愛するってことだけなんだ。
ジョン・レノン
多くの人が、ジョン・レノンは暗殺されたと知っている。
だが、その本当の理由を知る人はほとんどいない。この殺人の裏で糸を引くのは誰だろうか? イギリスの弁護士でジャーナリストのフェントン・ブレスラーは、レノンの暗殺について調査した。
「誰を愛するか、どこを愛するか、
なぜ愛するか、いつ愛するか、どう愛するか、
そんなことはどうでもいい。大切なのは、愛するってことだけなんだ。
ジョン・レノン
多くの人が、ジョン・レノンは暗殺されたと知っている。
だが、その本当の理由を知る人はほとんどいない。この殺人の裏で糸を引くのは誰だろうか? イギリスの弁護士でジャーナリストのフェントン・ブレスラーは、レノンの暗殺について調査した。
そして彼の著書『誰がジョン・レノンを殺したか?』(音楽の友社 1990年)の中で、マーク・デイビッドチャップマンの経歴と逮捕について検証した。そして彼は、チャップマンは催眠状態にあったと結論している。つまりチャップマンは、CIA/FBIの対敵諜報活動プログラムのために洗脳され、コントロールされて犯行に使われたのである。
レノンは反戦活動家であり、税制を批判し、反政府主義者と認定されていた。
体制の腐敗を批判した曲『ワーキング・クラス・ヒーロー』の発表以来、「反体制」のビートルズは米国の敵と見なされた。
レノンは反戦活動家であり、税制を批判し、反政府主義者と認定されていた。
体制の腐敗を批判した曲『ワーキング・クラス・ヒーロー』の発表以来、「反体制」のビートルズは米国の敵と見なされた。
レノンは暗殺される直前、不公平な世界を愛によって終わらせるために、大規模な平和運動を展開しようとしていた。調査したブレスラーによると、イルミナティはJ・エドガー・フーバー(当時のFBI長官)を動かし、レノンをターゲットにしたのだという。
このことと528Hzと、どのようなつながりがあるのだろうか?
レノンが生涯を捧げたものとは何だったのだろう。
このことと528Hzと、どのようなつながりがあるのだろうか?
レノンが生涯を捧げたものとは何だったのだろう。
多くのミュージシャンが、レノンのピアノは「平均律」より低く調律されていたと言っている。特に、ビートルズの『ホワイト・アルバム』(正式名称は「ザ・ビートルズ」)において顕著だという。ネット上のブログやチャットでは、リンゴ・スターがジョン・レノンに素晴らしいドラマーだと認められたのは、彼のドラムが平均律よりも低かったからだと言っている。
ケトナーとルーベンスタインは、ドラマーたちに「レゾナントヘッドをバターヘッド(表皮)より低くチューニングすると、音が下がって「ピッチベンド」効果が得られ、サスティン(持続音)が長くなる」と指導している。
ピアノデザインの研究家ダニエル・コーラーは、A=444Hzにするとピアノでも同じようになることを発見している。
ピアノデザインの研究家ダニエル・コーラーは、A=444Hzにするとピアノでも同じようになることを発見している。
ポール・マッカートニーもビートルズのレコーディングの際、ベースのチューニングを下げていたことがあると噂されている。
愛による癒しの伝道者であったレノンは、音楽の形而上学を理解していたと思われる。おそらく研究により全音階チューニングのほうが彼が追い求めた、霊的でかつ長いサスティン(持続音)で共鳴する「恍惚のリスニング」を生み出しやすい、ということに気づいたのだろう。
彼が学んだと思われることは、有理数、または整数比を使ったチューニングから得ることができる。
実際に、レノンとマッカートニーが528Hzを使って有名な曲をレコーディングしていたことが、クリストファー・ルイスの調査からわかっている。
実際に、レノンとマッカートニーが528Hzを使って有名な曲をレコーディングしていたことが、クリストファー・ルイスの調査からわかっている。
ソルフェジオ(音階)周波数の熱心な研究者であり、才能あるレコーディング・アーティストでもあるルイス氏は、YuoTubeに528と、『イマジン』『ヘイ・ジュード』『レット・イット・ビー』、そして『バンド・オン・ザ・ラン・』(ポール・マッカートニー&ウイングスのアルバム)の一部やレノン/マッカートニーの名作との比較を投稿した。
そしてルイスは、「マッカートニーは少なくとも1999年以降は、自身のバンドとチューニングに528を使っている」と結論している。
本書にこの情報を加えたのは、レノンの才能に危険を感じたCIA/FBIに注目してもらうためである。
本書にこの情報を加えたのは、レノンの才能に危険を感じたCIA/FBIに注目してもらうためである。
そして2010年に調査ジャーナリストのシェリー・ケインと私は、彼らの企みを明らかにしたことで私を暗殺しようとしている。
おとり捜査官のグレッグ・シマンスキーと、デビッド・ロックフェラーの協力者であるベンジャミン・フルフォード、そして私の 528Records.comに潜入して破壊工作をした「音楽エンジニア」ドン・ニコロフたちと手を組んだ。
私は世界中に無料の、528Hz音楽を使った自然療法クリニックを開設しようと考えている。しかし巨大製薬会社にとっては、このプロジェクトは絶対に容認できないものなのだ。しかも私はワクチンのリスク啓発にも最初に声を挙げたのである。
音楽学者やクラシックの音楽家たちは、『デビルス・トーン』(悪魔の音)または『デビルス・インターバル』(悪魔の間隔)が、『528Hzのミ』と『741Hzのソ』から成ることを知っている。そしてマイケル・ウォルトンはソルフェジオ(音階)の741Hzが、「平均律A=440Hz」の「F#」と完全に一致することを発見した。
音楽学者やクラシックの音楽家たちは、『デビルス・トーン』(悪魔の音)または『デビルス・インターバル』(悪魔の間隔)が、『528Hzのミ』と『741Hzのソ』から成ることを知っている。そしてマイケル・ウォルトンはソルフェジオ(音階)の741Hzが、「平均律A=440Hz」の「F#」と完全に一致することを発見した。
そしてこの平均律、つまり国家標準音は、ロックフェラー財団によって制定されている。なぜなら彼らの戦争研究の中で、その音が発する周波数が心理的社会的ストレスや病気を作り出し、「集団ヒステリー」を作り出すことが判明したからである。
これでわかるように、悪魔は音楽業界にも潜んでいるのである。
それは「平均律A=440Hz」と、抑圧され、悪魔化された528Hzの間にいるのである。しかし私たちはもし望むなら、自分たちが選んだように世界を作り変えていくことができる。愛の音は「528Hz」であることを示す証拠がたくさん存在する。それは万能のヒーラーである。私たちは自分とこの星を癒すという心からの愛を持って、より多くの音楽を528Hzで奏でれば、そのエネルギーは池の水面に広がる波のように広がっていくだろう。多くの水から作られているあなたの体と魂は、同じく水面に広がる波のように愛と528Hzを増幅し、あなたの心を開いてくれる。そして最高の善である愛は、人々の意識と知性を広げ、この世界をもっとも苦しめている問題の解決策を示してくれるであろう。
人間をコントロールする「国家標準音」に隠された謀略
『ジョン・レノンを殺した狂気の調律A=440Hz』
これでわかるように、悪魔は音楽業界にも潜んでいるのである。
それは「平均律A=440Hz」と、抑圧され、悪魔化された528Hzの間にいるのである。しかし私たちはもし望むなら、自分たちが選んだように世界を作り変えていくことができる。愛の音は「528Hz」であることを示す証拠がたくさん存在する。それは万能のヒーラーである。私たちは自分とこの星を癒すという心からの愛を持って、より多くの音楽を528Hzで奏でれば、そのエネルギーは池の水面に広がる波のように広がっていくだろう。多くの水から作られているあなたの体と魂は、同じく水面に広がる波のように愛と528Hzを増幅し、あなたの心を開いてくれる。そして最高の善である愛は、人々の意識と知性を広げ、この世界をもっとも苦しめている問題の解決策を示してくれるであろう。
人間をコントロールする「国家標準音」に隠された謀略
『ジョン・レノンを殺した狂気の調律A=440Hz』
レオナルド・G・ホロウィッツ著 徳間書店
前世を記憶する人々②
2007年10月27日取材
現在48歳の女性です。
「前世で私は一人っ子で育ち、18歳で結婚しました。しかし子供がなかなか授からなかったので、そのために義母にいじめられて毎晩泣いていました。そのうちに夫からも暴力を受けるようになり、さらに夫は別の女性と不倫をしていることがわかり、それを知った私はもう耐えられず、井戸に飛び込んで自殺をしました。それが23か24歳の時です。私はあの世と言われているものが死ぬ前の世界と何も変わらないと思えたので、自分が死んだことに気づきませんでした。私は生きているときにいじめられたので、一人で歩いていました。お腹は空きましたが、人の近くに行くのがいやで、人が大勢いるところが怖くてあちらこちら歩き回っていました。でもお腹が減って、何か食べ物があるかと思い、ある人の後ろについて行きました。そして、その人の家に入ったら女性が出産する最中で、私はその人の子供として生まれ変わっていました。
私は幼いときから自分が生まれ変わったことを知っていました。
今世では家族にも恵まれて、子供もでき、いじめられることもありません。前世の家はここから300キロ以上離れています。私は前世では自殺したので、前世の家には行きたくありません。自殺して死んでも、またこうして生きていて、前世の記憶がなくならないのですから、もう自殺はしたくありません。前世での私の性格は、暗くていつも悩んでいて、人との交流もまったくありませんでした。毎日恐怖に怯えて生活していたのに、今世では活発で、そんなことはまったく考えません。性格はガラリと変わりましたが、なぜか『私』は『私』です。」
2001年10月3日取材
「1948年に革命が勃発し、中国には土地改革が起こりました。
このとき私は32歳の女性で、地主だった夫は革命で捕まり、殺されてしまいました。そのことにショックを受けた私はその後病気になり、6歳の男の子と3歳の女の子を残したまま
死にました。子供たちに何かを食べさせなければと思い、ベッドから起き上がりました。私には死んだという感覚はなく、普段どおりにドアから家の外に出ました。夜だったので一人で外出するのは危険だと思い、ちょうどそのとき通りかかった二人の塩売りについて行きました。塩売りたちは川を渡り、宿に泊まりました。私はお金を持っていなかったので、その辺をふらふらしていました。お腹が空いたとか眠いという感覚はありませんでしたが、死んだという感覚もありませんでした。死んでいるという自覚のない私は、通りかかった人たちの姿も普段どおりに見ることができました。フラフラしていた私は、門の開いている家を見つけてそこに入って行くと、その家には、臨月を迎えた妊婦がいたのです。
妊婦を見た瞬間、突然涼しいような、冷たい水の中に落ちるような感じがして震えました。そしてふと見ると私の体が手も足も小さくなり、赤ん坊になっていました。このとき初めて、自分は死んで、さらに生まれ変わったのだということに気づいたのです。それが死んでから3日目の出来事でした。今度は男として生まれました。しかし生まれたときから、自分が生まれ変わったことを知っている人間でした。つまり、前世から今世に至る流れの中で、「自分」という感覚を切れ目なく知っているのです。私は小さな男の子なのに、雨や雷の荒れた日には、「早く家に帰っておいで」と、前世の子供たちの名前を無意識のうちに呼んで叫んでいました。それは3歳と6歳の子供を残して死んだからだと思います。私の叫び声を聞いたお母さんは私を問いただした結果、私が前世を覚えていることが明らかになりました。
1983年に1度と、その後何度も子供たちの消息を尋ねて探しましたが、子供は見つかりませんでした。孤児院も探しましたが手がかりはありませんでした。両親とも一度に亡くした子供たちは、多分どこかへ養子に行ったのではないかと思います。今世の私はほとんど学校には行きませんでしたが、いい成績をとることができました。前世では豊かな家に生まれていたので、本などよく読んでおり、それが今世でも記憶として残っているからです。大人として生きていた前世での「自分」という感覚が途切れていないので、子供の頃から大人の心を持っていました。それで遊ぶときも、私よりも年上の人と遊ぶことを好みました。小さいときはセーターを編んだり、機を織ったり、服を縫うのが大好きでした。性格は今でも女性的だと思います。料理を作るのも得意です。」
2002年9月25日取材
「私は前世では男として生まれ、16歳で結婚して、18歳で死にました。
原因はお腹の激痛です。そのとき1歳と2歳の子供がいました。あの世はこの世ととてもよく似ていました。商売をしている人もおり、店もありました。お金もあり、持っていくこともできます。でも私は生前貧しかったので、与えられたお金は僅かでした。食べる必要がないので働く必要もなく、働く人は趣味で働いています。家もありましたが、私が住んでいた家は生前の家に似ていて、みすぼらしく粗末でした。おしゃれな人は毎日着ているものを変えましたが、私はずっと変えませんでした。一部の人々は若い頃の体になっていましたが、私は元々若かったのでそのままでいました。
あの世にいるとき、突然景色がこの世の景色になりました。
それは瞬間の出来事でした。私がフラフラ歩いていると、ある家の軒先にお腹が大きい女性がいたのでその家について入り、その女性を観察しているうちに赤ん坊として生まれました。その途中経過の記憶がなく、その人が今世のお母さんだったのです。今世は女として生まれました。しかし私は前世の男としての記憶があったので成長してから、前世の奥さんを探しに行きました。しかし彼女は別の男性と再婚して、他の場所に移ったという情報を得たので、私はそれ以上後を追いませんでした。
前世で18歳の男として死んだとき、葬式が行なわれ、墓地で陰陽師が呪文を唱えたとき、私を墓に入れようとするエネルギーを感じたので私は逃げました。魂は墓の中に入らないほうがいいのです。いったん墓の中に入ってしまうと、たとえ魂であってもなかなか抜け出すことができません。お葬式は肉体だけの儀式です。特に、生きている人々は、『ここで安らかに眠ってください』、などと言ったり、思わないことです。なぜならそういう閉じ込められた魂が呪縛霊になるからです。お墓に入ってしまったら、いわゆる『成仏』はできなくなります。それらの仏教的な儀式はまったく意味がなく、それは残された人の気休めに過ぎません。体を離れ、すでに自由になった魂を引き戻すような儀式はやめるべきと思います。お盆などに、生きている側の都合で呼び出さないでほしいと思いますが、どちらにしろ、そのようなこの世からの声は、あの世にはほとんど届きません。」
「生まれ変わりの村③」 森田 健著
アクセス 河出書房新社
抜粋
現在48歳の女性です。
「前世で私は一人っ子で育ち、18歳で結婚しました。しかし子供がなかなか授からなかったので、そのために義母にいじめられて毎晩泣いていました。そのうちに夫からも暴力を受けるようになり、さらに夫は別の女性と不倫をしていることがわかり、それを知った私はもう耐えられず、井戸に飛び込んで自殺をしました。それが23か24歳の時です。私はあの世と言われているものが死ぬ前の世界と何も変わらないと思えたので、自分が死んだことに気づきませんでした。私は生きているときにいじめられたので、一人で歩いていました。お腹は空きましたが、人の近くに行くのがいやで、人が大勢いるところが怖くてあちらこちら歩き回っていました。でもお腹が減って、何か食べ物があるかと思い、ある人の後ろについて行きました。そして、その人の家に入ったら女性が出産する最中で、私はその人の子供として生まれ変わっていました。
私は幼いときから自分が生まれ変わったことを知っていました。
今世では家族にも恵まれて、子供もでき、いじめられることもありません。前世の家はここから300キロ以上離れています。私は前世では自殺したので、前世の家には行きたくありません。自殺して死んでも、またこうして生きていて、前世の記憶がなくならないのですから、もう自殺はしたくありません。前世での私の性格は、暗くていつも悩んでいて、人との交流もまったくありませんでした。毎日恐怖に怯えて生活していたのに、今世では活発で、そんなことはまったく考えません。性格はガラリと変わりましたが、なぜか『私』は『私』です。」
2001年10月3日取材
「1948年に革命が勃発し、中国には土地改革が起こりました。
このとき私は32歳の女性で、地主だった夫は革命で捕まり、殺されてしまいました。そのことにショックを受けた私はその後病気になり、6歳の男の子と3歳の女の子を残したまま
死にました。子供たちに何かを食べさせなければと思い、ベッドから起き上がりました。私には死んだという感覚はなく、普段どおりにドアから家の外に出ました。夜だったので一人で外出するのは危険だと思い、ちょうどそのとき通りかかった二人の塩売りについて行きました。塩売りたちは川を渡り、宿に泊まりました。私はお金を持っていなかったので、その辺をふらふらしていました。お腹が空いたとか眠いという感覚はありませんでしたが、死んだという感覚もありませんでした。死んでいるという自覚のない私は、通りかかった人たちの姿も普段どおりに見ることができました。フラフラしていた私は、門の開いている家を見つけてそこに入って行くと、その家には、臨月を迎えた妊婦がいたのです。
妊婦を見た瞬間、突然涼しいような、冷たい水の中に落ちるような感じがして震えました。そしてふと見ると私の体が手も足も小さくなり、赤ん坊になっていました。このとき初めて、自分は死んで、さらに生まれ変わったのだということに気づいたのです。それが死んでから3日目の出来事でした。今度は男として生まれました。しかし生まれたときから、自分が生まれ変わったことを知っている人間でした。つまり、前世から今世に至る流れの中で、「自分」という感覚を切れ目なく知っているのです。私は小さな男の子なのに、雨や雷の荒れた日には、「早く家に帰っておいで」と、前世の子供たちの名前を無意識のうちに呼んで叫んでいました。それは3歳と6歳の子供を残して死んだからだと思います。私の叫び声を聞いたお母さんは私を問いただした結果、私が前世を覚えていることが明らかになりました。
1983年に1度と、その後何度も子供たちの消息を尋ねて探しましたが、子供は見つかりませんでした。孤児院も探しましたが手がかりはありませんでした。両親とも一度に亡くした子供たちは、多分どこかへ養子に行ったのではないかと思います。今世の私はほとんど学校には行きませんでしたが、いい成績をとることができました。前世では豊かな家に生まれていたので、本などよく読んでおり、それが今世でも記憶として残っているからです。大人として生きていた前世での「自分」という感覚が途切れていないので、子供の頃から大人の心を持っていました。それで遊ぶときも、私よりも年上の人と遊ぶことを好みました。小さいときはセーターを編んだり、機を織ったり、服を縫うのが大好きでした。性格は今でも女性的だと思います。料理を作るのも得意です。」
2002年9月25日取材
「私は前世では男として生まれ、16歳で結婚して、18歳で死にました。
原因はお腹の激痛です。そのとき1歳と2歳の子供がいました。あの世はこの世ととてもよく似ていました。商売をしている人もおり、店もありました。お金もあり、持っていくこともできます。でも私は生前貧しかったので、与えられたお金は僅かでした。食べる必要がないので働く必要もなく、働く人は趣味で働いています。家もありましたが、私が住んでいた家は生前の家に似ていて、みすぼらしく粗末でした。おしゃれな人は毎日着ているものを変えましたが、私はずっと変えませんでした。一部の人々は若い頃の体になっていましたが、私は元々若かったのでそのままでいました。
あの世にいるとき、突然景色がこの世の景色になりました。
それは瞬間の出来事でした。私がフラフラ歩いていると、ある家の軒先にお腹が大きい女性がいたのでその家について入り、その女性を観察しているうちに赤ん坊として生まれました。その途中経過の記憶がなく、その人が今世のお母さんだったのです。今世は女として生まれました。しかし私は前世の男としての記憶があったので成長してから、前世の奥さんを探しに行きました。しかし彼女は別の男性と再婚して、他の場所に移ったという情報を得たので、私はそれ以上後を追いませんでした。
前世で18歳の男として死んだとき、葬式が行なわれ、墓地で陰陽師が呪文を唱えたとき、私を墓に入れようとするエネルギーを感じたので私は逃げました。魂は墓の中に入らないほうがいいのです。いったん墓の中に入ってしまうと、たとえ魂であってもなかなか抜け出すことができません。お葬式は肉体だけの儀式です。特に、生きている人々は、『ここで安らかに眠ってください』、などと言ったり、思わないことです。なぜならそういう閉じ込められた魂が呪縛霊になるからです。お墓に入ってしまったら、いわゆる『成仏』はできなくなります。それらの仏教的な儀式はまったく意味がなく、それは残された人の気休めに過ぎません。体を離れ、すでに自由になった魂を引き戻すような儀式はやめるべきと思います。お盆などに、生きている側の都合で呼び出さないでほしいと思いますが、どちらにしろ、そのようなこの世からの声は、あの世にはほとんど届きません。」
「生まれ変わりの村③」 森田 健著
アクセス 河出書房新社
抜粋
No comments:
Post a Comment