Sunday, February 10, 2013

宇宙の兄弟たちへ@より転載111政治ごとのまともな安定した見解を初めて読みました111


2013年2月9日土曜日


中国の暴走を止めるために



先日の記事でナチスドイツと中国について書きました
中国とナチスドイツ

両者ともメディア統制を行って、
自由な思想や言論活動が妨げられています

そして、ナチスは自由な国家であったフランスの文化人や
言論家を凋落して、ナチスに親和的な人々をフランス国内に
たくさん作って油断させると、
あっという間にフランスを侵略し占領しました

中国もチベットを侵略するときは、
チベット内に反米親中の主張を広めて、
油断させといて占領しました

中国のチベット侵略占領は現在も続いております

こうした自由の無い国家では、
言論の自由のある国家の、
自由な思想や言論活動の出来ることを弱点と見て、
まずは思想面から攻略して、その後実際の侵略を始めます

日本においても、
基地反対などの反米活動が活発になされておりますが、
その背後には中国の諜報活動が暗躍しているのは間違いないでしょう

日本からアメリカさえ出て行けば、
中国にとって目の上のたんこぶを取り除くように、
厄介者を排除して有利に動けるようになり、
日本への侵略が可能となってきます

基地反対などの一般の参加者は平和を望んでのことでしょうが、
実際は中国の裏の活動に乗せられて、
踊らされている結果になっています

中国がナチスのように今後も暴走を続けないための封じ込めを
考えるべきでしょう

中国は広大な領土を保有していますが、それが弱点でもあり、
多くの国と国境を面しており、防衛線は長大な距離になります

特に、ロシアとインドは中国にとっても厄介な隣国でありましょう

ですから、日本は、アメリカとの友好を今後も継続しつつも、
ロシアとインドとの協力関係を強めていくべきです

日本の領土が何らかの侵略を受けたときには、
アメリカ、ロシア、インドが協調して動くとなれば、
中国は駒を進めることが出来ません

日本の領域に侵略しているうちに、
ロシアやインドが侵略してきたら防ぐのは難しいですから

日本は、アメリカに続き、
ロシアとインドとも協力関係を深めていき、
東南アジアの諸国とも連帯しながら、
中国を封じ込める作戦をなしたらよいでしょう

それによって、
ナチスに弱腰であたったために暴走させてしまった、
第二次大戦時の悲劇を繰り返させずに、平和を得られるでしょう

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精神世界ランキン

魂の旅 2




前回の記事(魂の旅 1)で
世界は全一なるものから”分化”していく働きと、
全一なるものへと”回帰”する運動があり、
人間の思考を”分化”の働きである”分析知”と、
”回帰”の働きである”統合知”の二つにわけて説明しました

さらにこの二つの知について説明していきたいと思います

分析知ではある人を善い人・悪い人というふうに分けたり、
人生における出来事を良かった・悪かったと判断していきます
それが統合知では悪い人と言われる人にも善なる部分があり、
また悪い出来事と思えることにも実はよい意味があったのだと考えたり、単純に物事を判断するのではなく自我を超えた大きな見地から
俯瞰して物事をとらえようとする働きです
仏教には善悪不二という言葉があります、これは善悪というのは本当は別々のものでなくて一体のものなのだという見地でしょう
不幸な事や悩み事など悪い出来事と判断しがちな事も
実はよい理由が含まれていたり
後からよかったと思える事になるかもしれないと洞察する智恵です

自我から見たこの世の善悪や幸不幸を超えて
すべての内に素晴らしい見えざる輝きを見ていく知だと言えます
仏教でいう般若の智恵はこのことだと思います
分析知は良し・悪しを判断して自分にも他人にもこれは良いこと・
これは悪いことと裁く傾向が出ますが、
統合知ではあるがままに見ていき、
あるがままに肯定する見地と言えます
自他の区別なく一視同仁に見ていきます
統合知は宗教的であり精神的、内的、東洋的な見地と言えます
ただこの統合知は分別がないため
一つを取って片方を捨てる判断を下せなかったり、
現実処理が出来ないなどの弱さがあります
政治的判断などでは
一方を取り片方を捨てる判断などしていかなければなりません
どれもこれもとしていたら身動きできなくなります

また企業などでも会社が業績悪化していけば
リストラしていかなければならない状況も出てきます
どの人も見捨てられないとして
判断が下せなかったら会社自体が潰れて全員が失業することになります
そうした判断をしていくには分析知が必要になってきます

以上の説明で
私が掲げた分析知と統合知についてだいたいつかめたと思いますが
歴史的に二つの知がどのようにあらわれてきたかを
具体的に見たいと思います

中国の禅の五祖で弘忍という偉いお坊さんがいました
彼は弟子たちに
悟りの心境をうまく詩に表せた者を後継者と認めようといい、
弘忍門下の筆頭弟子だった神秀が壁に偈を書き、
それを聞いた慧能というまだ出家もしていない寺で米つきの雑用係が
神秀の詩を否定するような詩を書き、
弘忍が慧能の方をこっそり認めたといいます
結局二人はそれぞれ北と南に分かれて教えを広めていくことになり、
神秀の北宗禅、慧能の南宗禅に分かれていきます
それではこの二人の詩を見てみましょう

神秀の詩
身是菩提樹 心如明鏡臺
(身はこれ菩提樹 心は明鏡台の如し)
時時勤佛拭 莫使有塵埃
(時時に勤めて佛拭し 塵埃を有らしめること莫れ)

慧能の詩
菩提本無樹 明鏡亦無臺
(菩提に本から樹など無い 明鏡にもまた台など無い)
佛性常清淨 何處有塵埃
(仏性は常に清浄だ 何処に塵埃が有るのか)

神秀の詩を拝見すると明鏡と塵埃を、
つまり善いものと悪いものとを見極めて
心についた塵やほこりである悪趣を取り除くという考えがあります
善悪を峻別して悪を除き善を現す考えであり、分析知的と言えます

一方の慧能は
菩提に本から樹など無い、明鏡にもまた台など無い、
仏性は常に清浄だ、何処に塵埃が有るのか
と言っていますから
人間の本質は善悪や判断を超えた存在だと主張してるわけですね
これは一種の統合知と言えるでしょう

両者とも北と南に別れてともに発展したようですから
お互いに正しい面があったと思うのですが、
両者ともお互いを理解しあえない部分があったように思います

それでは仏教の開祖であるお釈迦様の思想はどうであったか
考えてみます
初期仏教徒の中心の修行として八正道があります

八正道は正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の
八つの項目を検討して正しく見たか、
正しく思ったかなど内観していくものです
ここには神秀の詩に通じる心の塵埃を落としていく考えがあります
正しいものと間違ったものとを分けて
間違いを捨て正しいものを選択していく分析知の働きがあります

一方でお釈迦様は諸法無我を説かれ、
あらゆる存在は相互の関係性によって
現象として現れているのであるから、
それ自身で存在するという自性はないと説かれています
この思想からすると慧能の言っていることにも通じるものがあり、
自我の立場を超えた統合知の視点にあると言えます

お釈迦様の考えには善をとり悪から離れるという
自己を磨き伸ばしていく思想と、
諸法無我という自我を虚しくしていく思想とが、
しめ繩のように両方とも絡み合って有るように思います

分析知と統合知とはどちらが正しいということではなく、
お互いが必要であり相互に補い合うものだと言うことだと思います

二極化されて開示される世界では
思想の整合性を求めていくとどちらかに偏りがちになりますが、
バランスを崩すと中道から外れていきます

次はキリスト教を見ていきます

キリスト教の歴史ではルターやカルバンなどの宗教改革者が出て
プロテスタント運動がおこりました
ルターらは免罪符という
これを買えば罪は免除される紙を売るなどしたカトリックの体制に対して腐敗した体質を糾弾していきました
これらは善悪を峻別していく働きであり、
あるがままに受け入れるのでなく、悪いことを放置せず正していく分析知的活動であったと思います
これによりキリスト教は分裂してお互いに争うことにもなりましたが、
相互に改善も促された面があります

また初期のキリスト教徒で有名なパウロという方がいます
彼は義人は一人もいないとし
人類はすべて原罪を背負う存在であり
イエスを救い主と信じることで平等に救われるとしました
善悪不二の立場にありこれも一種の統合知と言えます

それではイエス様のお考えはどこにあったかと考えますと、
汝の敵を愛せという言葉と
それを返す刀で律法学者やパリサイ人を批判しています

愛の教えを説きながら、偽善者には厳しく非難しています
愛の教えは統合知の働きであり、
間違いを指摘するのは分析知の働きです
イエス様にはその両方がありました
愛の教えを説いたからといって
思い違いしている人をそのままでいいんだよと肯定はしていません
間違いは厳しく指摘しているので分析知も明確に持っていると言えます

統合知からこの世の人生を見つめると
芝居の劇のようにお互いが善人の役をしたり、
別の劇では悪人の役をしたり、
金持ちや貧乏人や殿様や家来など役をかえて様々な劇を演じており
善悪不二の視点にたつのですが、
それを知った上で
あえてこの現世という超リアルなバーチャル世界での芝居の中で
分析知を働かせて芝居の中の世界を良くしていこうとする思いが
お釈迦様やイエス様にはあったように思います

この私の解釈と非常に近いことを言われている方がいます

中国の偉いお坊さんで天台智顗という偉いお坊さんがいました
天台宗を開いた方です

彼は真理の観点に空諦・仮諦・中諦という
三つの諦(真理)があることを説きました

空諦
仏教で言う空とはからっぽという意味ではなくて、
この世の存在は本当はすべて実体のないもので、
時間的に見れば生まれては消え誕生しては消滅し常なるものがなく
(諸行無常)、
相互の関係性によって存在してるかに見える自性の無いものであり
(諸法無我)、
実体のないものが固定してあるかのように見せている様を
仏教では空と言います

この世は実体のない世界なのだ。
バーチャル体験マシーンによって
有るように見せかけられた仮想現実なんだ。
肉体も机も椅子も五感で感じられる世界は真の実在ではないと
見抜く観点を空諦と言います
しかし空諦ではこの世の世界を否定し、
生まれてきたことの価値を見出だすことが出来ません
真の実在である世界にのみ目がいき、
現象世界を軽視する傾向が出てきます
そこで空諦を否定する観点として仮諦が出てきます

仮諦
この現象世界はバーチャル体験マシーンによって
有るように見せかけられた空の世界ではあるが
仮の世界としてあることはある
肉体に宿ってせっかくアトラクションを体験することが出来るのだから
この人生を味わって生きていこう
このバーチャル世界も仮の世界として認めて生きよう
そうした観点が仮諦です
しかし仮諦をもって生きていくとまた現象世界にとらわれ、
のめり込んでしまいがちになります
そこでさらに仮諦を否定して中諦を説きます

中諦
この現象世界はバーチャルな世界であり
実体のない空の世界だという空にとらわれず
また、仮の世界として認めて
それで現象世界に没頭していかず
これら両端の観点にとらわれず、中なる観点があること説きます
そしてこの空諦・仮諦・中諦の三諦が融合した境地を
三諦円融という言葉であらわしこれが真実のありかたとしました

以上、天台智顗の三諦円融を私なりに説明しました
天台はお釈迦様の真の思い教えはそこにあると考えたわけです

それを私流に言うと空諦が統合知的観点であり、
仮諦が分析知的観点となり、
両者が補い合い補完しあうのではないか
統合知の観点に立てば現象世界のなにものにも執着せず、
あるがままで生きられるわけですが、
現象世界での現実問題に善悪、真偽、美醜など
正さや優劣を追求できず
ワンネスに生きているかもしれませんが
空想家的で地に足がつかないタイプになるかもしれません

分析知の観点に立てば現実問題に対象する能力がすぐれ、
よいもの悪いもの、これは必要なものだから取っておく、
これは不要だから切り捨てる等判断力にすぐれていますが、
現実的で精神性に目がいかず自我が強固であり、
物事を単純に白黒つけたがり
あるいは善い人悪い人と決め付ける傾向が強いタイプになります

普通人間はどちらか一方だけの知というわけはありませんが
どちらかに偏りがちになることが多いかもしれません

両者の観点は
人間にとってどちらも片寄りなく持つて
融合させていくことが重要なのでしょう


続く…

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精神世界ランキン

2013年2月7日木曜日


中国とナチスドイツ


民主党は事実を国民に隠していたようです
民主政権「レーダー照射」隠蔽か 尖閣国有化前  - 社会 - ZAKZAK

海上自衛隊の艦船に
中国が射撃管制用レーダーを照射した事件がありました

日本ではなくてアメリカであれば反撃していた可能性もある
危険な挑発行為です

尖閣諸島近海への領海侵犯も頻繁に行ってきており、
中国は徐々に行動を強めていって、
日本や米国のリアクションを確認しているのでしょう

日米が弱腰な態度を取り続けるのか、
強硬な姿勢を見せるか見ているということです

まだ大丈夫だ(弱腰外交が続く)とわかれば、
更に駒を進めるわけです

いまの中国の動きを見ると、
第二次大戦前のナチス・ドイツの動きを思い起こさせます

1933年にヒトラーは政権を獲得すると、
36年にはラインラントに武力進駐しました

当時のラインラントは非武装地帯と定められていたのですが、
約束を破ってドイツは駒を進めたわけです

それについてフランスもイギリスも強硬な姿勢を見せませんでした

第一次世界大戦が終わってから、
ヨーロッパでは反戦ムードと平和主義が広がっていました

ですので、ドイツの挑発にも、他の国々は弱腰で、
なるべくことを荒立てないように処置しようとしたのです

ナチスドイツにとって初動次期の軍事行動であるラインラント進駐は、
ヒトラーも恐る恐るだったらしく、
二三日眠れぬ日が続いたといわれています

ナチスの挑発行為への弱腰の対応が、ナチスに誤った自信を与え、
その後に続く侵略の基礎を作りました

第二次大戦は平和主義が招いたものだとも言われています

「もう戦争はこりごりだ」という平和主義により、
侵略の意図を持つ国に弱腰であたったために、
暴君を付け上がらせて野望の火に油を注ぐ結果となりました

まさに、現在の日本と中国の動きを表しているように思えます

その後ドイツは、37年スペイン内乱介入、38年オーストリアの併合、
39年春チェコ併合していきます

ここにいたっても英仏は弱腰であったため、
ヒトラーはポーランドに侵攻しても、英仏との戦争には至らないだろう、と思っていたようです

もし、ラインラント進駐の時点で、ドイツの暴走は許さないと
各国が強固な姿勢を見せていたなら、
ナチスの暴走や第二次世界大戦は避けられていたかもしれません

日本も敗戦にこりて、平和主義な国ですけど、
その平和主義が、野心を持った隣国の挑発に弱腰で挑むことにあるなら、かえって戦乱を引き込む結果となるでしょう

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