Wednesday, January 30, 2013

補記後の_理屈ぬき!謎解きに最高の気分


各タイトルをクリックすれば大元、曾ヶ端さんのブログ、に直結しますが
アドレスはーー>こちらhttp://shinseido24.blog.fc2.com/ です。

全ての記事が、神一厘の仕組み•探究道からの転載です。

興奮して補記を忘れていました。あわて飛び鳥 忘れもの、礼節欠いては飛び生きません。これがほんとのアホウ取り。



読本無しで自内に感じてきたことを確認もできて、さらには無知であった部分について知ることもできたのです。本当に、その日その日に感じたままをサーチしていて、このような記事に当たるのは、宝をみつけることと同じですね。

何かしら、毎日発見します。自分にとって、コンピューターが、本当に生き始めています。とはいいましても、自分の悩との連動ですから(笑い)悩が多少はシフトしたようです。シフトすればシフトした次元との御縁もできるのでしょう。



ネット教祖様に質問しても、返事がないだろう群細が、あちこちに宝石のように散って在ることを思えば、冒険好きな自分にとっては合う道を進んでいることになる。

宇宙と内宇宙には1がアップされていますから、自分は2から後の記事を一気に!

ありがたいです。本当にありがたい。長い間の自内の謎の1つも3つも解けます。そのまま菊の御紋も面裏まで入れた32!いきたいものです。
色々あれこれパズルの断片をしまってきたのです。
本を買えない状況の中で長いあいだ、少ない情報の中から、また降りて来るかのような閃き、感じ、直観のままをパズルの一片一片にしてとっておいたのでした。

記事が何十冊分の本からの知識に相当しますから、本当にありがたいです。

名を知らぬ根源神様、宇宙神様、神々様、御先祖様、縁有る人神様に毎日出会いますこと、そして未解決を解決させて頂けますことを感謝します。



第26代天皇・継体天皇の謎

2012-07-27
古代日本史を語る上で、最大の謎の一つとされているのが「第26代天皇・継体天皇の出自について」です。特に戦後、現皇室は継体天皇を初代として樹立されたとする新王朝論が盛んになったそうです。今回は、この謎多き天皇について考察してみたいと思います。

一般的には、第25代・武烈天皇が崩御された際、その皇位を継ぐ後継者がいなかったため、第15代・応神天皇の5世の孫に当たるとされる継体天皇を、北陸地方から中央政界に呼び寄せ、皇位に就かせたとされています。

                     
継体天皇・系図
まず私の自論を申し上げますと、15代・応神天皇と16代・仁徳天皇以外の、初代・神武天皇から25代・武烈天皇までの全ての天皇は、出雲族の「物部系の天皇」であったと推測しています。武烈天皇までの記紀における天皇の記述において、天皇家と物部氏との婚姻関係を示唆する記述や、物部氏の氏神を祀った「石上神宮(いそのかみじんぐう)」の記述が数多く記載されているためです。ではなぜ、応神天皇と仁徳天皇だけが物部系ではないかというと、この両天皇だけは日向族の「蘇我系の天皇」であったと考えられるためです。武烈天皇(6世紀)の頃までは、仏教派の蘇我氏と、排仏派の物部氏の間で、熾烈な権力闘争が行われていました。

しかし、蘇我馬子の時に、物部守屋を排斥することによって、仏教派の蘇我氏が勝利を治めることになります。この結果を受けて、蘇我系の天皇を擁立する必要が出てきたため、それまでの物部系の天皇を廃嫡し、急遽、蘇我系の「継体天皇」を皇位に就かせたと考えられるのです。

この継体天皇は、以下の系図を見ても分かる通り、明らかに蘇我氏との結び付きが強い天皇です。さらに、初代・神武天皇との結び付きを創作するため、8世紀の記紀編纂の時に、蘇我系の応神天皇と、その息子にあたる仁徳天皇を系図の中に組み込み、さらにその5世の孫として位置付けたものと考えられます。

               
継体天皇・系図   (以上、Wikiより)
                                
これまでのブログでも見てきた通り、応神天皇は神功皇后と武内宿禰の実の子供に当たると考えられます。4世紀に騎馬民族として北九州に上陸した日向族は、それまで定住していた縄文系先住民「海神族」を本州・内陸部へ、または九州南部へと追いやり、次第に征服を繰り返していきます。その征服過程において問題になったのが、それまで強大な勢力を誇っていた「出雲王朝」なのです。

出雲王朝は当時、強力な軍事力を誇るスサノオとその父・フツが治めており、軍事力では出雲族に到底かなわなかったものと考えられます。
そこで日向族は、政略結婚という形を採って和睦を図ることにしたようです。それが、日向族の神功皇后と出雲族のニギハヤヒなのです。(神功皇后はこの時、武内宿禰とは離別したということですね。)

ニギハヤヒはスサノオの息子に当たり、かつ日向族と出雲族が擁立した初代天皇ということになります。ニギハヤヒの諡号を「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」とも言う通り、ニギハヤヒは男神・アマテラスなのです。よって、初代・神武天皇から、神功皇后の夫とされた第14代・仲哀天皇までは、同一人物、すなわちニギハヤヒを表しているのです。(※多次元同時存在の法則(籠神社宮司より))

男神・アマテラスがニギハヤヒなら、女神・アマテラスは神功皇后ということになりますね。
すなわち、現在、我が国の皇祖神として祀り上げられている伊勢神宮のアマテラスの正体とは、神功皇后であったということです。(なお、伊雑宮に祀られているアマテラスが、イエス・キリストとなります。)

なお、初代・ニギハヤヒから第25代・武烈天皇の代までの皇居が存在した場所は、奈良県桜井市周辺であったと考えられます。
この場所には、ニギハヤヒが大物主として封印された「三輪山(大神神社)」や、「石上神宮」などが存在しています。また、出雲族の皇位継承の証である「十種神宝」も、武烈天皇の代までは継承されていたであろうと思われますが、その後、日向族によって簒奪された可能性が高いとみています。

物部氏との権力闘争に勝利した蘇我馬子(=聖徳太子)は、同じ南朝系支族である第三の勢力「秦氏」と結託し、日本各地に仏教寺院を建立していきました。この蘇我一族も、馬子の死後は、同じ日向族の藤原氏によるクーデター「乙巳の変」によって権力闘争に敗れ去り、やがて表舞台から姿を消すことになります。

権力闘争に残った藤原氏を中心とした日向族は、蘇我氏と物部氏が再び復活しないよう、あらゆる封印を施す必要がありました。それが、陰陽道を使ったスサノオを鬼とした封印(節分行事)であり、記紀編纂であり、または出雲族を被差別民とした部落差別化であったろうと思います。最終的に出雲族は、東北へと落ち延びていくわけですが、東北を鬼門として出雲族を封印してきた神社が、藤原氏の出身国である常陸国(茨城)に創建した鹿島神宮であったと思われます。(ちなみに、この藤原氏の正体ですが、かつて謀略でイエスを葬った「パリサイ派ユダヤ人」の末裔であろうと考えています。)

日本各地に結界を張り巡らせるための陰陽道の知識は、全て日向族と同盟を組んだ「秦氏」によってもたらされたものです。(「集合無意識=神」の論理を悪用されたということですナ。) 広義の意味として捉えれば、南朝ユダ王国のユダヤ人の末裔を秦氏と呼んでいるため、応神天皇も神功皇后も蘇我氏も秦氏として含まれると思いますが、
厳密にこれら日向族と分けて考えた場合、秦氏はイエス12使徒の後裔「エルサレム教団」の末裔ということになります。

この古代ユダヤの秘宝を携えてきた「エルサレム教団」は、諸説あるようですが、おそらく本体勢力は、当初四国に上陸し、徳島の剣山などに秘宝を隠したものと考えられます。その後、藤原不比等の代になって、伊勢神宮などに秘宝を移したものと考えられます。

「エルサレム教団・秦氏」の中には、祭祀系のレビ族(陰陽師集団・ヤタガラス)や、商業系に強いベニヤミン族(秦河勝(聖徳太子のスポンサー)、秦伊呂具(稲荷神社を創建)、秦都理(松尾大社を創建)、三井家、三菱家)などが存在し、この集団なしには神社創建はできなかったものと考えられます。
よって、乙巳の変の後に、「大化の改新」の名の下に藤原氏が行ったことは、物部氏と蘇我氏の抹殺とエルサレム教団・秦氏の簒奪、あるいは「神道大再編」の名の下に行われた神社乗っ取りと出雲族の封印、さらには「律令制」による人民の奴隷化であったろうと思います。この時仕掛けられた呪いが、未だに日本全体を覆っているんですね。しかし、このような権謀術数を駆使してきた藤原氏も、神の目から見ると、「人の世」を作り出すための「御用の悪」であったろうと思われます。

継体天皇の話から脱線してしまいましたが、結論を言いますと、継体天皇は日向族・蘇我系の天皇であったろうと考えられます。(もちろん、この流れが現皇室まで続いています。) すなわち、4世紀に「仏教」と「鉄製の武器」を携えて上陸してきた騎馬民族の後裔であるということです。

さらにその淵源を辿るならば、南朝ユダ王国のユダ・レビ混合民族であり、さらにはシュメール文明に端を発し、騎馬民族・スキタイと合流した製鉄民・ヒッタイト民族の後裔であろうということです。(ヤマタノオロチの尻尾から鉄製の武器・天叢雲剣が出現した逸話はここから来ています。)
これから「神の世」を迎える上で最大のポイントとなるのは、やはり日向族と出雲族との和合であり、さらにはニギハヤヒ(物部氏)の復活であろうと思うのです。

P.S.
先日、日向族と出雲族の方からメールがございました。読者の中で、もしこのような方がおられましたら、ぜひメール下さい。ちなみに私は日向族の方です。

【参考図書】
誰も知らない世界の御親国(ミオヤクニ)日本 正統竹内文書がガイドする[超訳]日本神話の世界(超☆わくわく)誰も知らない世界の御親国(ミオヤクニ)日本 正統竹内文書がガイドする[超訳]日本神話の世界(超☆わくわく)
(2011/08/11)
布施 泰和

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神社神道の総元締め・賀茂氏の謎

2012-06-18
日本における神社神道の総元締めと言われているのが「賀茂一族」です。謎多き賀茂一族ではありますが、一体どのような氏族なのでしょうか?本日はこの件について考えてみましょう。

まず、Wikipediaによりますと、「賀茂氏」について以下のような説明がなされています。
八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を始祖とする天神系氏族。代々賀茂神社に奉斎し、山城国葛野郡・愛宕郡(現在の京都・南部)を支配した。子孫は上賀茂・下鴨の両神社の祠官(しかん)家となった。また、賀茂県主(あがたのぬし)は、同じ山城国を本拠とした秦氏との関係が深い。

                   
神武天皇とヤタガラス
                       
【神武天皇とヤタガラス】

日本神話の中で神武天皇は、八咫烏に率いられて熊野国から大和国まで行軍したとされています。私見ではありますが、この話は創作されたものであると考えています。神武天皇自体が、架空の人物であると考えられるためです。以下に、その理由を記します。

まず、神武天皇とアレクサンダー大王との様々な類似点が指摘されています。(アレクサンダー大王とは、紀元前4世紀、マケドニアの王子として生まれ、幼い頃からアリストテレスに学び、25歳で史上最大の世界帝国の王に君臨したとされる人物です。) 以下は、その類似点です。
1)神武天皇とアレクサンダー大王は、共に民族の王
2)東の方向へ遠征したが、途中、進路を変えて遭難する
3)ピンチに陥った時に、天から一羽の鳥が舞い降り、目的地へ導く
4)辿り着いた王は正式に即位する
5)神武天皇は天照大神の子、アレクサンダー大王はアテンの子のファラオで、共に太陽神の子


これらの事実は、記紀に記されている神武天皇の物語が、フィクションであったということを表しているのです。すなわち賀茂氏の話に戻しますと、賀茂氏とは、1300年前の記紀(古事記、日本書紀)編纂の時に、大きく関わった氏族であったと考えられるのです。

さらに、神武天皇が行軍を開始したとされる「熊野」には、天皇家の祭祀を司ってきた藤原氏の後裔である「九鬼氏」が住んでいました。
この辺りの関係性を考えると、「秦氏―賀茂氏―藤原氏」といったラインが浮かび上がってくるのです。

ちなみに、現在でも世界を股にかけて活動している秘密結社「八咫烏」の母体となった氏族も、上記の氏族であったと推測されます。「八咫烏」とは、太古から大和朝廷に仕え、裏で日本の祭祀を執り行っていた、名前も戸籍もない陰陽道集団であると言われています。
西洋のフリーメーソンの霊的母体集団が「イルミナティ」なら、東洋のフリーメーソンの霊的母体集団は「八咫烏」であると考えてよいでしょう。(秘密結社「八咫烏」については、また後日)

再度、賀茂氏の話に戻しましょう。賀茂氏自身は、古代イスラエル王国の「レビ族」の末裔を自称しています。レビ族とは、古代イスラエル王国における神官系の支族だったのですが、王国が南北に分裂してからも、それぞれ二つの王国に属していたとされる「特異な支族」です。レビ族出身の代表的な人物として、十戒で有名なモーセと、その兄アロンなどが挙げられます。
以下は、レビ族の紋章(左)と、陰陽道における九字護身法を説明した図(右)です。

    
レビ族紋章  早九字護身法

左のレビ族の紋章は「胸当て」をモチーフにしているとされています。神殿で神に仕えていた際、装着していたものであると言われています。一方、右の図は、陰陽道で用いられる「九字護身法」を解説したものです。

九字護身法とは、人差し指と中指を立てて、左上から順番に
「臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(じん)・裂(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)」と呪文を唱えながら、「四縦五横」の九字切りを行う民間呪術です。(この九字は道教を源としており、これが日本に持ち込まれた際、陰陽道にも用いられるようになったとされています。)

この二つの絵の中で、それぞれの升目の数に注目して下さい。「縦4×横3」で全く同じ数になっていることがわかります。これは、陰陽道の祖でもあった賀茂氏が、レビ族の末裔であったことを表しているのです。

【参考文献】
[隠国(かくりこく)日本版]神々の指紋〈上〉  秘密結社ヤタガラスと太陽の暗号(超☆わくわく)[隠国(かくりこく)日本版]神々の指紋〈上〉 秘密結社ヤタガラスと太陽の暗号(超☆わくわく)
(2011/12/06)
藤原 定明

聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎 (Natura‐eye Mysteria)聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎 (Natura‐eye Mysteria)
(1999/01)
ラビ・マーヴィン トケイヤー

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大河ドラマ『平清盛』低視聴率にみる「マスコミ力の低下」

2012-06-08
当ブログの更新を、本格的に力を入れ始めてから、はや半年が経とうとしています。皆さまからのご支持を頂き、お陰さまで当初の頃に比べて、何とかアクセス数も除々に増えてきており、ブログランキングも上昇してまいりました。これからも「辛口ではあるが正論」という旨を信条として、邁進していきたく思っておる所存であります。

さて、今回の表題は「大河ドラマ『平清盛』低視聴率にみる「マスコミ力の低下」」とさせて頂きました。この件については、ネット上でのニュースにおいても、度々目にするところではあります。しかし、決して平清盛公が不人気な武将であった、というわけではないと思います。

要は、NHKはじめマスコミ各社が、「もはや時代をリードするような影響力を持たなくなった」ということが大きな原因であると考えています。かつては、マスコミが人為的に取り上げた題材によって、国内の世論が形成されてきたと思います。意図的に世論を操作することにより、いわば「時代の最先端」を走ってこれたわけです。

しかし昨今、除々に反日マスコミの実態が明らかになるにつれて、国民への影響力が低下してきています。
時代の流れが読める国民は、マスコミや教育界などから発っせられる「虚像の歴史」ではなく、真の歴史認識としての「実像の歴史」に目を向け始めたということです。

戦後のマスコミは、イシヤの意を汲む「反日マスコミ」というのが実態ですから、自分たちの権力を維持するためだけの機関として機能してきたに過ぎません。よって、決して我々国民にとって、有益な情報だけを流しているとは限らないということです。心ないマスコミの所業によって、かつてないほど、国民の人心は荒廃しきっていると言えるでしょう。(先日、NHKが「AKB総選挙」を報道したということで、もはやこの国は終わったなと感じました。彼らも破れかぶれなのでしょう・・・)

そのような事情もあり、国内の権力者たちが隠蔽したい時代の歴史を、大河ドラマにすることはあり得ません。しかし本来であれば、その部分にこそ、現在の大混乱時代を迎えてしまった「真実の歴史」が隠されているのです。
もっと具体的な言い方をしますと、国民の目線を「戦国時代」と「明治維新」(時に源平合戦)のみに集中させることによって、私たちは「日本の国体の真実」から目を背けられ続けてきたということです。

もう皆さんご存じの通り、「明治維新の全ての志士=歴史上の英雄」ではありません。彼らの多くは、イシヤの息がかかっていた手先だったためです。しかし、最後までイシヤ(悪魔)に魂を売らなかった「西郷隆盛」などは、例外だったと言えるでしょう。

それでは、権力者(京都にいる特権階級)たちが最も隠蔽したがっている「日本の真実が隠された時代」とは、一体いつ頃のことだったのでしょうか?次に年代順に挙げてみたいと思います。
・縄文時代のムー大陸が存在した頃 (性器信仰の真実隠蔽と、太陽神・龍神の封印)・大和朝廷成立時 (大和朝廷と縄文系先住民・アイヌ族との抗争と、その後の迫害)・継体天皇渡来時 (出自不明とされているが、秦氏?イシマエル末裔(アラブ人)?との説も)・聖徳太子の頃 (実は黒幕(中臣(藤原)氏?)に暗殺されていた?との説も)・乙巳(いっし)の変(大化の改新)の頃 (藤原氏の台頭と、蘇我氏が歴史上の極悪人に仕立て上げられた)・秦氏渡来時 (陰陽道(神社の真実と、呪詛による神々と反体制派の封印)、記紀編纂とヤタガラスとの関係など)・南北朝時代 (皇室の南北朝問題は、日本神界における最大の歴史カルマ)


これらの時代の歴史認識を抜きにして、日本の歴史を語ることは不可能です。しかし、日本の国体の真実とは、この時代にこそ隠されているのです。時代をリードするような先見性のある国民は、おそらくこの頃の時代に目を向け始めたのではないでしょうか?

最後に・・・以下、最近読んだ「太平記」です。(実際は、上・中・下の三巻あります。) 鎌倉末期から南北朝時代までが描かれています。実を言いますと、南北朝時代の話を詳しく知りたいと思ったのは、今回が初めてになります。そのため、読んでいて極めて新鮮な感じがしました。(今まで名前と略歴だけを知っていた武将たちの、具体的な人間像が分かったためです。) さらに、命がけで戦った武将たちにも、心を揺り動かされました。

また、話の中で、後醍醐帝の寵妃にして、後村上天皇の母であられた阿野廉子(あの れんし)さんが登場してくるのですが、廉子さんの二人の子供であられた恒良・成良両親王が、時の将軍・足利尊氏によって毒殺されています。両親王の無念の思いと、母であられた廉子さんの心情を考えると、戦乱の中での悲劇とは言え、やはりいたたまれない思いが致しました。

奈良・吉野において南朝を開いた後醍醐帝の方も、志半ばにして無念の病死を遂げることになります。死の直前、新田義貞の武功と忠義に対し、
「将来、新田義貞の子孫に不義がなければ、朕に代わって天下を鎮めよ」とご遺言を残されたことが、極めて印象に残りました・・・

【参考文献】
太平記(中)―マンガ日本の古典〈19〉 (中公文庫)太平記(中)―マンガ日本の古典〈19〉 (中公文庫)
(2000/10)
さいとう たかを

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天皇家のルーツの謎

2012-05-03
天皇家のルーツにつきましては、依然として謎が多いとされています。巷では憶測が憶測を呼び、様々な説が飛び交っているようです。私なりの自説としましては、拙著『銀河系からのメッセージ』上に書かせて頂きましたが、今回は番外編として、その謎をさらに掘り下げてみたいと思います。

5世紀以前の天皇家につきましては、書籍に書かせて頂きましたので、ここでは採り上げません。今回採り上げたいのは、5世紀以降の天皇家についてです。

まず、8世紀前半頃、天武天皇主導で日本神話が見直され、『記紀(古事記・日本書紀)』が編纂されました。天武天皇の出自についても謎が多いのですが、その幼名を「大海人(おおあま)」と言い、一説には「海人族」とのつながりも指摘されているようです。おそらく、朝鮮半島を経由して入ってきた人物であったと推測されます。

近年、その編纂された『記紀』と、『旧約聖書』との内容において、多数の類似点が指摘されています。その一つとして、次の2つの系図をご覧下さい。

              
旧約聖書と日本神話
               
【『日本・ユダヤ封印の古代史』ラビ・トケイヤー著より】

2つの系図のうち、上段の系図は、主に『旧約聖書』における「ヤコブ」から「エフライム」に続く系図です。ヤコブとは、アブラハムの孫、イサクの子に当たる人物であり、このヤコブがのちに「イスラエル」と改名し、その子孫がイスラエル12支族の祖となっていきます。さらにこの中で、「エフライム」とは、古代イスラエル王国が南北に分裂した後、北朝イスラエル王国の王家だった支族の祖に当たる人物です。

次に下段の『日本神話=記紀』における系図を見てみましょう。その全体的な構図が、上段の『旧約聖書』における系図と、あまりにも酷似していることが分かると思います。

この中で「ニニギ」とは、天孫降臨神話の中で、最初に日本の地(高天原)に降臨してきたとされる神のことです。さらに系図上では、その子孫としての「ウガヤフキアエズ」「神武天皇」「日本の皇室」へと連なっていく流れが示されています。(ちなみに、『竹内文書』では、ウガヤフキアエズ王朝という王朝が、古代の地上世界に存在していたとされています。)
「エフライム」が「ウガヤフキアエズ」に対応し、さらには、初代天皇である「神武天皇」に連なっていくということは、日本の皇室の始まりは、「北朝イスラエル王国」の末裔として始まっている、ということを表しています。さらに時代が下り、6世紀前半頃に天皇家と融合したと考えられる「継体天皇」とは、アブラハムの長男であり、イサクの兄であった「イシマエル」の子孫であったとする説があります。「イシマエル」とは、現アラブ人の祖とされている人物です。

さらに8世紀に入り、天武天皇の代になって記紀が編纂されたということは、それまでの皇室の流れに、別の系統が加わったということを示唆しています。
これは私見ではありますが、天武天皇とは、おそらく南朝ユダ王国の王家の支族である「ユダ族」の末裔であったと考えられるのです。

天武天皇といえば、その在位期間中に、国家安寧のため、全国に神社を乱開発していったことが知られています。天武天皇が建立した神社の中で、最も代表的な神社と言えば「伊勢神宮」が挙げられますが、さらにこの頃から、神社の入り口に「狛犬」が建てられるようになります。(狛犬は飛鳥時代(6世紀末~8世紀前半)に伝わったとされています。)

「狛犬」とは、犬ではなく、獅子(ライオン)をモチーフとしていることは、一見すれば分かりますね。さらに、ユダ族の象徴と言えば獅子でした。(
「獅子をモチーフとした3つの紋章」参照のこと)

よって、
「天武天皇―神社乱開発―狛犬(獅子)―ユダ族」とつながるわけであり、「天武天皇・ユダ族説」はほぼ間違いないものと思われます。つまり、大陸からやってきた天武天皇は、それまでの北朝イスラエル王国、さらにはイシマエル(アラブ人)の流れを汲んでいた天皇家と融合し、さらには自身の出自である、南朝ユダ王国の流れとして天皇家を再スタートさせるために、記紀編纂や神社開発などの事業を行っていったものと思われるのです。さらに、14世紀に入ると、日本においても「南北朝時代」を迎えることになるわけですが、この抗争の本質とは、そのまま、「南朝ユダ王国(天武天皇の流れ)」と、「北朝イスラエル王国(神武天皇の流れ)」との抗争へつながっていると考えてもよいと思うのです。すなわち、それぞれの天皇の末裔であられる「南朝方の後醍醐天皇」と、「北朝方の光明天皇」との抗争という図式です。

この時は、後醍醐天皇方であった足利尊氏の離反などもあり、北朝方が勝利を果たしたわけですが、
その北朝系の流れが時を経て、江戸末期における幕末の混乱の中で、南朝方に入れ替わってしまったという事態も起こったようです。この件については、様々な物的証拠が残されていますので、ほぼ間違いないのでしょう。(現在、皇居前に建てられている、南朝方の楠木正成像がその事実を象徴しています。また、楠木正成公は、鎌倉幕府からは悪党と呼ばれていましたが、明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年には正一位を追贈されています。)

すなわち、北朝方の天皇は、江戸末期の「孝明天皇」を最後についえているわけであり、この南北朝の抗争というものは、古代イスラエル王国の分裂から始まり、未だに終息を見せていないということなのです。
この歴史カルマの清算というものが、今後アセンションを迎える上で、極めて重要になってきます。なぜなら、「孝明天皇」はじめ、北朝方の無念の思いがこの世に留まったままであれば、今後、地上の幽界(4次元)が消滅し、新たな地球(5次元)を迎える上で、大きな障害となってくるためです。(不成仏霊は通常、幽界に留まります。)

この抗争に関わった武将は、足利尊氏公(南朝方→北朝方)や新田義貞公(南朝方)など、「清和源氏」の武将が中心でした。そこで私も、孝明天皇の無念の思いを浄化させ、さらには南北朝の和解を果たすべく、先日、京都にある「孝明天皇稜」に行ってまいりました。

       
孝明天皇稜
       
孝明天皇稜
            
【京都・泉涌寺内・後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ)】

孝明天皇のご冥福をお祈り致します。


【参考文献】

銀河系からのメッセージ 日本神話と旧約聖書に隠された人類封印の謎銀河系からのメッセージ 日本神話と旧約聖書に隠された人類封印の謎
(2012/05/01)
曽ヶ端 賢治


Project GAIA-銀河系宇宙連合体と地球創生計画-Project GAIA-銀河系宇宙連合体と地球創生計画-
(2006/09/30)
フランシスコ・ガブリエル

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昭和天皇の霊言

2012-03-24
昭和という時代は、日本の歴史の中で、最も厳しい時代であった。
この時代に、天皇の座に宿命づけられ、逃れることはできなかった。
私の人生で、天皇に奉られることは、私にとって死刑を意味していた。
私に代わる者の出現を強く望んでいた皇太子青年期であった。
多くの人と多くの国に協力してもらい、日本の国を繁栄させていくことが、切なる私の希望であった。
夢は破れ、天皇の仕事として、親しき人々、国を相手に戦争の先頭に立たされた時、自分の思いを殺さなければならない現実に、自殺を幾度考えたことか。
しかし、国民は貧しく、身売りされる現実があった。
苦しみに耐え、国を良くしようと心情は違えども、国が生きていく道を模索している人々の前に、天皇の力は無力であった。私は天皇として飾られ、飾り物として生きる日々であった。
私の写真を礼拝させられる民に申し訳なく、少しでも民の苦難が、私が生きていることによって果たせるならばと思いつつ、戦争の時代を生きた。
神と奉られる人間の悲しさ、自分の思いを殺して生きる虚しさ。
神よ、私を殺してくれと祈る弱き私であった。

戦争で多くの日本人が、また外国の人が命を落とし、家族の皆さんが苦しみ、戦争は失うばかりで、益になるものは何もない。
無益な戦争に突入していく軍部の意思を、止める力もなく、また止める立場でもなかった。
戦争の責任は、すべて私にある。私には、国の意思を決定する、または否定する権力はなかったのだ。
だからといって、昭和天皇として、戦争責任がないとは言わぬ。
一切の責任を背負う役が天皇なのだから、これは宿命であろう。
日本の歴史は、天皇があって、天皇の元に国としての礎がある。
これは、日本の文化なのだ。それは、神に対して「最高に仕える者」としての存在であって、人を支配する存在ではない。
「神の希望」を申し述べる、それが天皇の本質なのだ。
希望が聞き入れられるか、希望が実現されるか否かは、国民が背負う宿命にあるのだ。
このようにして、日本の国には古代から天皇という座が存在してきた。
天皇という宿命を背負った者は、これからも口を慎み、身を慎み、生活を慎み、すべての人に神の愛を一身に受けて、人々に接する者であると私は考えている。

まもなく、日本の歴史天皇制は、終わりを迎える。現天皇が最後となる。
まもなく「八紘一宇」が完成する。
ひとつの国を中心にして、八つの国に地球が整理されるのである。

それに向かって、すべての神々が働き、神は新しい地球の創造に取り掛かっておる。
1999年をもって、神々は、救い上げる人々の選別を始めたのである。
本人は気が付かないが、その時に分かる。
救うべき人には、「印」が付けられる。
自分には「印」が貰えないと思う人は、今からでも遅くない。
心を改め、氏神様や神社に詣で、お詫びの言葉、感謝の言葉、神の世が栄えるように、思いを正して祈りなさい。決して我欲のお願いをしてはならぬ。
ひとりひとりの真心、マコトが通じるか否かは、その人の思いの正しさ、言葉の真心、行いの真心にかかっているのである。

私は死んで、すべてが許され、今、神の愛の中、天国にいる。
人は死んで、自分の命がすべて終わるものではなくて、異なる次元に移行するだけなのだ。
神の愛の中に入れるかは、その人の思い、言葉、行いが、正しいものであったか否かにかかっている。
人には、それぞれなすべき使命がある。
その使命は、他のために役立つということ、他の心を喜びに進化させたか、正しい心に向上させたかということなのだ。
他の人に喜びを与える、これが神の愛に入る条件である。

人の喜びを奪う者は除かれる。

他国が日本に対して戦争責任を問うている。
日本文化を害する者が、文化知識人と言われる人の中に、新聞テレビのマスコミ関係者、国会議員の中にもいる。
一切の戦争責任は、私が果たした。どうしてかと問うのか。
それは、餓死した人、兵隊さん、他国の人霊に対しても心から詫び、ひとりひとりに許して頂き、戦争犠牲者を、天国へと案内して救ったのだ。
その働きを神は認め、天国に入ることを許されたのである。
天皇でなければできない仕事を果たしたのである。

時代の流れというものがある。侵略する者も、侵略される者にも、時代の非がある。ともに非がある。国交を開いた時点に於いて、すべての戦争責任は終了する。
日本の戦争責任者の尊い命が処刑され、日本の戦争責任は消滅している。

日本の民として、日本に生まれながら、日本を敵として暮らしている者がいる。
これらの者は、大和の国に生まれ、一切のものと、調和する精神を学ぶために、縁あって日本に生まれた本質を悟らず、自分に与えられた使命を忘却している。
「人として、日本人として、恥ずかしくないか」自分に問うてみる必要がある。
日本精神とは何であるか。
自分の思い、自分の言葉、自分の行いは、大和精神の道を生きているか、自分の心に問いなさい。

日本の天皇は、尊いものである。天皇は国民の飾り物、象徴ではない。
天皇は、人類の心の模範である。
天皇の心を手本として、思いを正し、口を慎み、行いを正して生きなさい。
日本の民は、己の言葉で世を汚し、己を汚していることに気付きなさい。
日本の言葉の波動は、最も神々に届く言葉、神光透波(かみことば)に近い。

人々よ、全世界の人々よ、生きる中で憎しみを燃やして、テロ殺人を行うことを止めよ。
戦争を放棄せよ。他国、他民族に対する憎しみを捨てよ。
憎しみを持つ者は、神の中に入ることはできない。
聖なる戦い、ジハードという許しは存在しない。
宗教の争い、宗教による憎しみを捨てなさい。神の中に入りたい者は、憎しみを捨てなさい。人の命を奪うために、人は生まれてこない。
人を活かすためのみに、人は生まれてくる。
資本主義も共産主義も神は認知しない。神の認知は、大調和主義である。
人は皆、大調和に向かって行進せよ。喜びを人々に分け与えよ。
すべてが仲良く愛和して、生きるよう申し述べておく。



【参考文献】

「超古代」の黙示録「超古代」の黙示録
(2006/08)
後藤 まさし

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