感じるところあり、心気一心一新による再編版を設けます。
転載は東北在住のまたたびさんが力添えをされている、伊勢ー白山道付随ルーシェ検索システムよりいたします。
主旨:
東北全県の情報や東北の人々によるコメントの集合などを心がける方向へと切り替えました。北米のネイティヴ_アメリカンを古代エミシとつながる部族として意識するため、そういった情報も、得られる時にはアップしていきます。
また地中海沿岸に対するロマンが疼く自分ですから、エミシ=東北=世界に散った民族というロマンを抱きながら進んで行きます。今後ともおつきあいのほど、よろしく。
_エミシ111 : Northeast-Spirit__
http://hakusan-spirit-111emishi.blogspot.com
戸っ戸っ戸
[2011-04-29 17:26:56 | 薫風亭]
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└記事:2011-04-29 [書]
└記事:2011-04-29 [書]
昔は、小字地名まで含めると「十六戸」まであったという話を聞いたことがあります。
また聞きのまた聞きですので、あまり信憑性はありませんが…。
奥州における「戸(へ)」地名は、
馬を飼い、育てることを職匠とした“馬飼部”の村落であると云われています。
おそらくは奥州藤原氏時代に編制された行政区画のようですね。
当時の奥州馬、とくに「戸立ち」と呼ばれる馬は、非常な高値で取引されました。
現代でいうところのベンツ並の“高級車”ブランド品だったのです。
奥州藤原氏の拠点都市名は平泉(ひらいずみ)。
この地名が、はたして藤原氏以前からの地名なのか、以後なのかはよくわかりませんが、
いずれにしろ平泉には、白山信仰への深いこだわりを感じます。
中尊寺地内の1番上に白山神社が祀られており、
寺の行事、祭礼には
この白山神社が重要な役割を果たしています。
で、そのお山の麓、旧国道4号線沿いにも、
目立たない所にひっそりと白山神社が鎮座されております。
その辺りの地名は志羅山(しらやま)。
これ、案外知られてないんですよ。
平泉の都市作りには、仏教の浄土思想に深い影響を受けているとは、よく云われるところです。
確かにそのとおりですが、やはりその根底には、白山信仰が深く関わっているように感じられます。
エミシの末裔。
もっと言えば、遥か白山王朝からの“血”故なのかも知れませんね。
雛辺(長げ~よ!)
[2011-04-24 14:48:16 | 薫風亭]
[2011-04-24 14:48:16 | 薫風亭]
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└記事:2011-04-24 [書]
デカイ顔の猫といえば、チェシャ猫のことを真っ先に思い出すのは私だけか…いや、そんなことはどうでもいい。
└記事:2011-04-24 [書]
デカイ顔の猫といえば、チェシャ猫のことを真っ先に思い出すのは私だけか…いや、そんなことはどうでもいい。
ところでフォッサマグナというのは、おおざっぱにとらえると、
大体旧国名でいうところの飛騨、信濃辺りから、
常陸あたりまでに渡っているようですな。
大体旧国名でいうところの飛騨、信濃辺りから、
常陸あたりまでに渡っているようですな。
極めておおざっぱですが。
この旧国名、飛騨は_“雛(ひな)”_信濃は_“雛野”
_常陸は_“雛地” の
_常陸は_“雛地” の
それぞれ転化であろうとする説があります。
雛とは、要するにど田舎という意味ですが、
どうやら大和朝廷の支配下(適切な表現かどうかはともかく)に完全には属していない地域、という意味もあったようです。
そしてこの常陸より更に奥には、
まつろわぬ民が暮らす地、
【日の本日高見】があったわけです。
まつろわぬ民が暮らす地、
【日の本日高見】があったわけです。
フォッサマグナを綺麗に境目にしているあたり、面白いですな。エミシの末裔達が多く棲む地と、フォッサマグナとの関連。そして今日の記事…。
さて、話変わって長髄彦(ナガスネヒコ)ですが、この方、エミシといっても、元々の本拠地は大和の地でしたな。
エミシは大和の民だったわけです。
ですから、東北エミシの俘囚長であった安倍氏が、
長髄彦の末裔であると誇らしげに宣言していたのには、
深い意味がある。
長髄彦の末裔であると誇らしげに宣言していたのには、
深い意味がある。
つまり、自分達こそが“真”大和の民、
“真”日本人であるとする宣言だったと考えられますな。
いや、妄想、妄想…(笑)。
東北地方がかつて、日の本とも呼ばれ、
日高見(“日”を高く仰ぎ“見”る)とも呼ばれていたこと。
ここら辺りに、東北、東日本が
今回の因縁をより強く受けねばならない理由、
深き深き神仕組みのようなものを感じるのは、私だけか…。
今回の因縁をより強く受けねばならない理由、
深き深き神仕組みのようなものを感じるのは、私だけか…。
私だけだな…(笑)
天津神とか国津神なんてことも、
至極表面的な争い事に過ぎないような気がします。
神仕組みというものは、そんな単純なものではない、
気がします。
なんといっても、雛(形)の地でもあるわけですしね…(笑)。
まあ、なんにせよ、
もしも我が故郷東北が海の藻屑と消えるなら、
映画『日本沈没』(昭和版)の田所博士の如く、運命を共にするのも一興かな(笑)
いやもちろん、そうならないように、努力しなくちゃね。
日ノ本日高見
[2011-04-12 14:27:47 | 薫風亭]
[2011-04-12 14:27:47 | 薫風亭]
中には、大和朝廷が、蝦夷(えみし)の国?の国号を奪って、
日本と号したのだ。とする研究者もいます。
まあ、事の真偽はともかく、
豊富秀吉の書状にも、奥州のことを「日の本」と称した記述がみられることから、
少なくとも戦国期までは、
奥州・東北の俗称としての「日ノ本」は残っていたものと思われます。
まあ、ヤマトといい、エミシといっても、結局は同じ「日本人」ということですかな。
かつてエミシと呼ばれ、ヤマトから攻撃された人々の子孫の中に、
「大和」の民の資質が顕著に見られるという事実。
東北という風土、東北の民に秘められた秘密…。
震災という、大いにして神聖なる“お役目”が、
何故東北の地に、東北の民の上に齎されたのか。
その神意の“一端”を見た思いがします。
なんとかいう政治家がどーしたこーしたとか、
そんな小さな話ではないですな。
そのような見方は、結果的に神意を歪少化し、
東北の民を貶る行為だと私は思う。
ま、小○某がどうなろうと、知ったこっちゃないけどね。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
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