Saturday, September 8, 2012

◯_薫風亭さんとエミシ_◯






多賀城と胆沢城
[2010-03-19 22:08:36 | 薫風亭]
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└記事:2010-03-18 [


宮城県多賀城市にある多賀城史址。大和朝廷の奥州経営の拠点として、奈良時代に建てられた政庁の址です。


仙台に住んでいた時分、私はこの史址のある台地が妙に好きで、よく訪れては、なにをするでもなく、ブラブラ散策したものです。

その時直感的に思ったのは、「ここは、かつてのエミシ達の聖地」だったのではないか、ということでした。

その聖地を奪い、支配のシンボルとなる建築物を建てる…なんとも憎々しいことをするものだと。


この度の記事で、多賀城址だけではなく、岩手県の胆沢鎮守府址のある平原、とりわけ鎮守府八幡神社の鎮座されている辺りも、やはり聖地だったのだろう、という思いを強くしましたね。

エミシ達の神を隠し、支配者側の新しい神を置く…。


御先祖様達の無念の想い、察っせられます。



ま、これは私の勝手な想像です。異論反論、あるかも知れませんが、どうかスルーで(笑)



鎮守府八幡神社
[2010-03-18 12:26:52 | 薫風亭]
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└記事:2010-03-18 [


岩手県奥州市には、エミシ平定の軍事的拠点、胆沢鎮守府が存在していました。


今はなにもない、ただの平地ですが、

その史跡の片隅に、鎮守府八幡神社が鎮座しております。

胆沢鎮守府の創建が延暦16年(797)ですから、

この神社もほぼ同時期に建てられたものですので、

およそ1200年の歴史があります。

私は以前から、この神社に惹かれるものを感じておりました。

私はエミシの血を引く者。

この神社の創建者とされる坂上田村麻呂は、いわば御先祖様の敵です。

敵の建てた神社に、何故これほど心惹かれるのか?

なんとも複雑な気分になったものです。
今日の記事で、すべてが氷解しました。

私はこの神社に、先祖が信仰していた白山神を感じていたのだ、と、

勝手に介錯させていただきます(笑)


ちなみに、宮城県仙台市の大崎八幡神社は、


こちらの鎮守府八幡神社の分霊を祀ったものです。

私が仙台に住んでいた時分には、この大崎八幡が、市内で最も好きな神社でした。

不思議な縁を感じます。



三年寝太郎さんへ
[2010-01-09 20:47:34 | 薫風亭]
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2010-01-08 [


もののけ姫が勧善懲悪だとは思えませんけどね。そもそもこの作品には、所謂【悪役】は一人もいません。みなあがいている。何が正しいのか、なにが幸せなのか、ってことに対してね。
この映画には【結論】がない、と私は書きました。それはつまり、“人類が存在しない、全き大自然”という選択肢も有り得ることを意味します。もはやヒューマニズムですらない。
脇役が魅力に乏しいのは、そうかも知れませんね。


ただ主人公のアシタカがエミシであることや、牛飼い、タタラ師、狩人、ハンセン病患者といった人々、山の民、もっとはっきり言えば被差別民ばかりが登場し、農民、侍といった定番がほとんど登場しない、というだけでも、かなり挑戦的だと思いますね。そこを理解した人、というか面白いと思った人がどれだけいたのか、そういう意味では、日本人にも外国人にも、理解しやすいとはいい難い。
屁理屈、かな?(笑)





弁財天とオシラサマ
[2009-12-09 18:04:04 | 薫風亭]
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└記事:
2009-12-09 [


青森から岩手の一部において…。
オシラサマという神様が祀られている地域があります。


一尺程の長さの桑の木に、男女の顔や馬の顔などを書いたり彫ったりしたものに、色とりどりの布を重ね着させる。これを神棚などに祀るわけです。

山の神、農業の神、猟の神、馬の神、水の神、子供の神…様々な側面を持ち、その起源については諸説ありますが、よくわからない、謎の神のようです。
その諸説の中には、弁財天起源説や瀬織津姫起源説。

あるいは白山信仰起源説なんてのもあるようですね。

勿論もっとずっと古い、縄文やエミシの時代から伝わるものであろうとする説もあって、その古い信仰に、様々な信仰が集合されて、この地域独特の信仰形態が形成されたとするのが、もっとも妥当でしょうね。

しかし弁財天に瀬織津姫に白山…オールスターキャストですな(笑)
六花さん、河童というと、私はウル○ラセブンに出てきた「テペト星人」を思い出してしまいます(笑)あれは可愛いくないですな。

猛愛さん。
プリンス・シャーキン、好きでした。





薫風亭さま
[2009-12-07 09:55:08 | myunx2]
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2009-12-05 [


はじめまして。
エミシについてのコメント拝見致しました。ご指摘ありがとうございます。本当に蝦夷については謎が多く、今後の研究が気になりますね。
私も今後も古代史を調べて生きたいなあと思います。一日本人として太古のまほろばに思いを馳せ、古代国家成立についてやリーマン様の白山生命起源説など、色々想像してみたいです^^
ところで
エミシについて調べるうち興味深い研究結果を見つけました。また長文になり恐縮ですが、ご紹介させていただきます。外部リンク

(5)縄文人と現代日本人のつながり
引用・・・父系をたどるY染色体は長期間の追跡に適しており、1990年代後半から研究が急速に進展した。それに伴い現代日本人は想像以上に縄文人(古モンゴロイド)の血を引き継いでいる事が判明してきた。(中略)日本人はY染色体のD2系統とO2b系統を中心としている事が明らかになった。D系統はYAP型(YAPハプロタイプ)ともいわれ、アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、Y染色体の中でも非常に古い系統である。
この系統はアイヌ人・本土日本人・沖縄人の3集団に固有に見られるタイプで、朝鮮半島や中国人にはほとんど見られない事が解った。これはアイヌ人88%に見られる事から、D系統は縄文人(古モンゴロイド)特有の形質だと明らかになった。


(中略)さらにチベット人も沖縄人同様50%の頻度でこのYAPハプロタイプを持っていることを根拠に、縄文人の祖先は約5万年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、約3万年前に北方ルートで北海道に到着したとするシナリオを提出した。
現在世界ではD系統は極めて稀な系統になっており、日本人が唯一その希少な血を高頻度で受け継いでいる。それを最大とし、その他では遠く西に離れたチベット人にD系統が細々と存続するだけである。これは後に両者を分ける広大な地域に、アジア系O系統(弥生人も属する)が広く分布し、島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと考えられる。
またこの研究により、縄文人の系統はそのまま現代日本人につながっているとする説が裏付けられた。・・・引用終
上記ULRには世界各国のY染色体の比率を現したグラフもあり、ちなみに日本人のY染色体比率は、弥生人系(O2bアジア大陸系)50%、縄文人系(D系YAP型)40%、ロシア大陸系(C系)10% だいたいそのような割合です。D系が世界中で日本とチベットにしか存在しない事は非常に興味深いですね。

話は変わりますが、昨日の「題名のな○音楽会」のゲストはバイオリニストの葉加瀬○郎さんでした。彼のバイオリンは大好きでよくアルバムを聴きますが、代表曲のひとつ「エトピ○カ」がアイヌ語で「美しいくちばし」という意味の「美しい海鳥」を現した曲だと昨日始めて知りました。
「エト○リカ」を演奏なさる葉○瀬氏は、まるでアイヌの美しい郷と民を永久に讃える鎮魂歌を捧げる夷様のようで、美しい旋律が届くよう願わずにいられませんでした。・・・私の主観的な感想なので気を悪くなさったら申し訳ありません。長文お読み下さりありがとうございました。
リーマン様 薫風亭様を 生かしていただいて ありがとう御座位ます。
アマテラスオホミカミ アマテラスオホミカミ





エミシとは
[2009-12-06 07:42:41 | 薫風亭(即撤収)]
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2009-12-05 [



エミシ=アイヌ説は、必ずしも定説であったわけではないです。

最近になってから覆されたわけではないので、その教科書云々というのは、一部の説をさも定説であるかのように書き記した、悪い例ですな。

ま、吉田松陰の書簡にも、奥州のことを若干見下したような記述があると聞き及びますし、林芙美子女史などは、東京より向こうに、人が住んでるとは思わなかったそうです(笑)勿論、子供の頃の話ですがね。

ま、【西】の方々にとっては、そんなもんだったのでしょうな…。
それ、撤収!






聖なる約束の復活
[2009-12-06 00:43:41 | myunx2]
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2009-12-05 [


本日コメント投稿させていただいた後、地元の右まんじ起点の「恵比寿様」と「大和政権制圧の悲劇」がとても気になり、調べてみました。また長文で申し訳ありません。

まず恵比寿様の正体については諸説あり
(1)イザナギ神・イザナミ神の子、蛭子命である説
(2)大国主神と一緒に日本全国を歩いて国土開拓をした、少彦名神である説
(3)大国主命の子・事代主神で、天照大神のお使いが来て日本の国土を天照大神に譲るよう言われた時、交渉に当たった神の一人である説
があるようです。
また恵比寿は「戎」や「夷」とも現されるそうで、この「夷」が気になりました。
すると「夷」の様々な意味のうち

(5)蝦夷(えぞ、えみし)の別称。未開の民や東国の武士をさし、または外国人の蔑称。 であるようです。
私が遺跡から感じる「大和政権制圧の悲劇」は多分これかなと思いました。
外部リンク

引用・・・4~5世紀のころのヤマト国家は、瀬戸内海中心の西日本国家として、第一次の成立をみただけである。
その外側には、日本列島の半分にも上る広大な地域が、独立・半独立の状態に置かれていた。その残された独立諸日本を統一して初めて日本国家は完成するので、それまでは日本列島国家は成立しない。
その第二次統一国家、第三次統一国家の統一戦争として、熊襲征伐も隼人征伐もあるのだが、とくにエゾ征伐とされているのは、東日本、北日本全体の経営にかかわるのであるから、これは日本国家形成の最大の統一事業のように考える必要がある。

だから、そのとらえ方も「蝦夷征伐」のような悪者退治史観ではなしに、日本史を二分するような東西抗争史観を根底に置いて、「西の挑戦」に「東の応戦」を対置して、東国から奥羽へ、さらに蝦夷地に主権が進んで、初めて日本国家は完成するという史観に改まってこねばならない。エゾ経営史は国家成立史である。 ・・・引用終
私が習った歴史では、「蝦夷」は「エゾ=アイヌ」でした。しかし上記のように最近の研究で蝦夷は「エミシ=東の勇者」という解釈があり、エゾとは分けて考察されている事を始めて知りました。
しかし蝦夷制圧の様子について「日本神話」や「日本書記」には全く記載がないそうです。しかしこの時代の磁気が、当地の遺跡にはまだ残っているような妄想が・・・外部リンク
引用・・・この中で蝦夷「えみし」についての形式上最も古い言及は『日本書紀』神武東征記中に詠まれている来目歌の一つに愛濔詩として登場する。


「えみしを ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず」


(訳:えみしを、1人で100人に当たる強い兵だと、人はいうけれど、抵抗もせず負けてしまった)・・・引用終
このように『引用・・・日本史を二分するような東西抗争史観を根底に置いて、「西の挑戦」に「東の応戦」・・・引用終』が確かにあり「西の日見子」と「東の月見子」の「約束」があったのではないか・・・など勝手に推測しております。


そして当時日本の中心は富士山と考えられていて、富士山を真ん中に西側の聖地と東側の聖地が存在し、現世はその「約束」をすり替えた「契約」に支配されてきたのではないか・・・そんな妄想が次々浮かび、これはもう、古代国家成立ファンタジーロマン小説書いて、コバルト大賞に応募しなきゃああ!!です・・・スミマセン

長々妄想を書きましたが、今湧いているイメージは「国土に2度と争いを起こすなかれ 郷の民の為に祈り謳え」です。

実はこのメッセージは、最近放送終了した今年のNHK大河ドラマ「天地人」のメインテーマだった気がします。直江兼継が貫いた上杉の「義」は富や権利や面子だけでなく、遠き日の約束まで手放すものでした。全てを手放して貫いた「義」・・・それは国土と民の平和に他ありませんでした。
現在この「国土と民の平和」と「全ての存在との共存」は全国民に向けて平等に発信されているメッセージのような気がします・・・精神世界に興味なく真面目に働いてる各方面の方がちゃんと受け取り、顕現されてるようにも感じます。

来年はより二極化が進み、より良い映画やドキュメンタリー・音楽芸術科学等も出てくるのではないかと楽しみです。
最後に月見子姫?の意思ですが「過去に拘らず無用な争いを止め力を合わせ国土に存在する全ての生命を生かしたい」そんなふうに感じます・・・おそらく伊勢を訪れた事はないかもしれないので、いつの日か伊勢をご案内していただけるといいですね^^長文お読み下さりどうもありがとうございました。
リーマン様を この国の国土と郷の民と森羅万象を 生かしていただいてありがとう御座位ます
アマテラスオホミカミ アマテラスオホミカミ





アイヌと沖縄
[2009-11-29 17:18:07 | 薫風亭]
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2009-11-29 [


アイヌの方々と沖縄の方々は、人類学的にいうところの古アジア人的特徴が強いようです。


所謂“日本人”というのは、この古アジア人―手足が長く、顔の彫りが深く毛深い―と、新アジア人―手足短く彫り浅く、体毛薄め―とのハイブリッドなんですね。

一般的に私のような東北人は、“古”的特徴が強く、近畿圏の方々は“新”的特徴が強いと云われておりますが、それだとて、明確な線引きが出来るわけではない。

少なくとも人種学的には、“生粋の大和民族”など存在しません。アイヌとも沖縄とも、いわば兄弟、親戚関係みたいなものです。
抑、民族とはなんですか?

その定義は、実は学術的にははっきりしていない、至極曖昧なものなのです。

成る程長い歴史の中で、ヤマトとエミシ、アイヌ、あるいはクマソ、ハヤト、琉球などとの対立抗争はありました。しかしそれだとて、年がら年中争ってばかりいたわけではない。

むしろ交流しあっていた機会の方が遥かに長かったとさえ云えると思う。文化、文物の交流は勿論、人的交流、つまり“血が混じり合う”ことも当然にあった。

つまり純粋な“アイヌ民族”も“琉球民族”も存在し得ないことになります。
皇室を嫌っている?そんな人達は、所謂普通の“日本人”の中にもいますよ。特定の政治思想に被れた連中が、一部アイヌ、沖縄の方々の中にもいるというだけのことです。

少し考えれば、全てのアイヌ、沖縄の人々が、皇室を嫌っているなど有り得ないことくらい、わかるでしょ?
好きな人、嫌いな人、関心ない人。そんなのは、どこにでもあることです。一色になど決められるものではない。

極めて浅い考察、短絡的発想ですな。
もっと考えましょう。






エスキモー
[2009-11-15 13:22:02 | 薫風亭]
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2009-11-15 [


エスキモー→イヌイット
ギリヤーク→ニヴフ
インディアン→ネイティヴ・アメリカン
エゾ→アイヌ

これらがすべて差別用語であると、過剰な反応をされる方もおられるでしょうが、現状は必ずしもそうではないようですよ。
自らギリヤーク、エスキモーなどと自称している例もあるようですし、当の本人たちは、さほど気にしてはいない、という報告例もあるようです。

ま、インディアンは完全な勘違いですから、これは直した方が良いですが。

エミシ、セゾ、エビスなどにしても、色々調べてみると、必ずしも差別した呼び方ではないことがわかってきます。状況や時代背景による、ともいえます。
ま、イヌイットは一応国際的に認められた名称ですので、こちらを使った方が無難なことは確かです。
面倒臭い事に巻き込まれない為にも…。

より正確には、【イヌイト】らしいですが。






Unknown
[2009-09-23 10:15:19 | Unknown]
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└記事:2009-09-22 [


今日、うちの娘が近くで行われるお祭りで学校から学年全員で行事に参加します。運動会でも踊るのダンスをこのお祭りでも踊るそうです。

このお祭りはアテルイ・モレっていう1200年昔に東北地方に生きていた人が朝廷と戦って亡くなって首塚が近所にあり供養の為のお祭りなんですけど。初めて聞いたお名前でお祭りとか、ピンと来なかったのですが、ちょっと悲しいお話だったのが印象的でした。
この時代、東北地方の方々は蝦夷(エミシ)と呼ばれていて豊かな土地に田畑を耕し、鮭などを取って平和に暮らしていたのですが、朝廷が豊かな土地からできる作物や砂金を支配したくて
凄い数の兵士を送り込んで攻め入り、その戦いで東北の軍を率いたのが、アテルイとモレという人物です


たび重なる戦乱でだんだんと支配が強くなり、降参して朝廷側につくものが増える中、逆に怒りを爆発させて対抗し土地を知り尽くしたアテルイ側が勝利をおさめると、今度は田村麻呂という人物を率いて朝廷軍は攻め入り長い間、抵抗し戦い続けたアテルイ側は敗北しました。

敗北したアテルイ側は、自分たちの命と引き換えに兵士たちの生命の保証を約束するように田村麻呂に懇願しました。

田村麻呂はその武勇と人柄に惹かれてアテルイとモレの処刑をしないように朝廷に願い出るのために、アテルイとモレを連れ東北から京都に向かい、都の天皇や貴族に命乞いをするのですが、聞き入れてもらえずに田村の願いも叶わず処刑されることになりました。

せめて最後に故郷の北上川に思いを馳せることができる土地を選び、淀川を見ながら河内国で亡くなっていきました。


そして、近くの神社に祀られています。

その神社の元の敷地に塚が建立されており、そこでお祭りがあるのですがそこは桜公園とも呼ばれていて春になると満開の桜でいっぱいです。きっとその桜でアテルイとモレさんたちは慰められているかも・・・って思っています。
さて、朝廷がアテルイを生かしておかなかったのは「蝦夷は野蛮で野獣の心を持つ者たち」だからという理由からでした。偏見はいつの時代もあるんですね。と思いつつ、最後は仲間のために自分の生命を差し出すという潔さと優しさ、人間としての豊かさは立派だなと感じ、死ぬために東北から京都まで来たのですから、その道中の心情を思うと、このアテルイとモレは相当に強い心の持ち主だと思います。
家族だけではなく、兵士である他人を守るために命を懸ける。こんな古い時代にもこのような方たちがいるのだと知って日本人っていいなーと思ってしまいました。

私たちは今、こうしているのは大昔の様々な方たちの犠牲の上で生かされているのかも・・・って大袈裟なような発想をすると、命は粗末にするものじゃないですよね。

生きたくても生きることが出来ない方々もいてそれなのに死にたいと言う、自殺志願者は本当に「生かされている」観点から言うと神様を大切にしていないし我儘だと思います。
自分で生きているのではなく、生かされていることに気がついてほしいと思います。
すいません、長文になり自分の思ったことを思うままに書き込んでしまいました。大変、失礼しました。
生かして頂いてありがとう御座位ます
アマテラスオホミカミ アマテラスオホミカミ
皆さまを
生かして頂いてありがとう御座位ます
アマテラスオホミカミ アマテラスオホミカミ




アテルイの末裔
[2009-09-05 12:04:19 | 薫風亭]
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└記事:
2009-09-04 [


連投失礼します。
○○氏がアテルイの末裔?という与太話のネタ元は、あるいは、佐○○彦氏という“トンデモ歴史家”が20年以上まえに書いた〈東日流外三郡誌〉に関する著作のあとがきかも知れませんね

そこでは、○○氏を“エミシの末裔”と捉えており、明確にアテルイ云々と書かれているわけではなかったと思いますが、あるいはこれが、一人歩きしたものと思われます。
まあ、現政権をぶっ倒したことに、古代史と関連付けて、ある種の爽快感を持って、そのような話を語っている方々がいるやに思われますが、それは言ってみれば、東北人特有のコンプレックスの裏返しであり、私はあまり、健全なことだとは思いません

抑岩手県人で総理大臣になった方々は多くいらっしゃるわけだし、原敬翁のように大きく名前を残した方もおられる。何故○○氏だけが?やはり自○党政権を潰した、というところに、アテルイの無念を重ね合わせて、憂さを晴らしているのでしょう。あまり本気にしてはいけません。


感想

これには感想を書かせてください。
自分が略名111エミシを名乗るようになり、伊勢ー白山道のコメント欄に顔を出さないと決めても、その○○氏のような気持ちで、無念を重ね合わせてはいませんので... 

...それについて、どうか誤解いたしませんように頼みます。





薫風亭様
[2009-08-04 12:50:19 | Unknown]
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2009-08-03 [


岩手の観光パンフレットをまだ握り締めております。
エミシも気になりのぞいているうちに、「エミシの国の女神」菊池展明著 にたどりつきました。瀬織津姫がでてきたりで、もうわくわく! まだ紹介文しか読んでないですけど。てへっ。




八切さんのこと
[2009-08-04 11:01:00 | 薫風亭]
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2009-08-03 [


私は八切さんの説をまるごと受け入れているわけではありません。

どちらかといえば、敬遠していました。

“トンデモ歴史家”は佐治さんまでが限度です。それ以上はちょっと…。

この、ねぶたの起源の説については、知ったのはつい最近、今月に入ってからのことです。なんだかこの説ばかりは、素通り出来なかった。

私の中のエミシの血が反応したのでしょう、きっと。
この説のとおりのことがあったのかどうか、私にはわからないし、そんなことは、さして重要なことではない、と思っています。

ねぶた祭の、あの、逝く夏を惜しむかのような爆発力の中に、私はある種の悲しみをみたような気がした。

ある時から、それが“怨霊鎮め”という言葉となって、私の頭の中に居座るようになった。

まあ、単に梅原さんに影響されただけかも知れませんがね。
八切さんの説は、そんな私の漠然たる思いに何となくフィットした、言ってみれば、ただそれだけのことなのです。

ねぶたの起源の諸要素の中に、なにがしかの悲しい出来事があったのかも知れない、それが何かはわからないけど…私の感傷に過ぎないというのは、そういうことなのです。

正直、八切さんはどうでもよいのです。
ゴメンナサイね…。





ねぶたについて
[2009-08-03 16:22:12 | 薫風亭]
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2009-08-03 [



一般的には、精霊流しの一形態と謂れていますが、こんな説もあります。
八切止夫というかたが称えた説で、


かつて坂上田村麻呂の奥州征伐の際、反乱のリーダーであったアテルイらは京に護送され、斬首されました。

一方、奥州では、アテルイらの妻子や一族郎党が、おおきな穴を掘らされ、その穴に生き埋めにされたそうです。

その時、地元民で朝廷側に寝返った人々が、
その忠誠心を証明するために、その穴に埋めた土を踏み付けて固め、蓋をしたと、

それが、ねぶた(根蓋)の起源であるというんですね。

だから、田村麻呂の山車を曳くのであり、ハネト達の動きは、土を踏み固めた時の動作を表現しているのだと…。
かなり強引な説のような気がしますし、実際学会では、ほとんど相手にされていない。


しかし私は、そんなに真実から遠く離れてはいないのではないか、そんな気がしています。


私は一度だけ、ねぶた祭を現地でみたことがあります。それは勇壮なものでした。

まさにエミシの血が滾る、といった感じでした。

この激しさが、怨霊鎮めに繋がるのかも知れません。

正史から削られた、歴史の真実が、こんなところから仄見えるような気がします。

単なる私の感傷かも知れませんが…。





後書


今日は別のセクション、サイトに明言しましたように、

三蘇さんを忘れないでいるために
古い名である素三蘇、スミソ、を111エミシに足し加えました。

三本の遺伝子という新人類の誕生が、東北と関東で起こり始めている。
この事にも合わせて、それはエミシの蘇りでもあり、埋没神の蘇りの象徴でもあると信じた自分の縁起です。


アテルイのこと、そして生き埋めにされた一族郎党の魂という魂の一部であるという、憤怒と哀しみが、呻きと涙となり、今、自分の指をキーボードに打たせています。

三蘇さんが京都にお住まいのターミーネーターの娘さんと御縁ができたのも、意外や、アテルイを救おうとした人との、霊的な御縁だったなど...有り得ますか、どうか、分かりませんが、不思議なことに、わにさんもタミネタ姉貴と呼んでいました。

こうなれば、打ち明けます。


三蘇さんのつながりであった_わにさんも近所さんの1人になりました。だいぶ前のことでした。

わにさんが投稿を開始した時には、すでに近所さんになっていたと…思います。

後の詳しいことは、わにさん自身が書くと思いますので、自分は控えます。


あまり言い訳しない人なので、投稿のさいに書き間違えなどがあっても、訂正コメントしてこなかったと見受けるので、ささいな誤解を生んでいた気もしますが。



コンピュターは、それぞれが伊勢ー白山道を知り始めた時から使い回しです。
仲間です。見られていけない情報もありません。


今後は、わにさんに協力して頂きながら、ブログを持続していくことになるでしょう。
会話に出てはいましたので、やはり決めて進めます。



生かして頂いて ありがとう御座位ます



_111エミシ素三蘇_

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