Wednesday, September 5, 2012

111_I am Emishi_わたしはエミシ _111

昼にアップしたのでしたが、補記がありましたので、再度アップしました。


My mind_わたしの思い

This is Part 2. Same expression as Part 1 in English is as below. I wish to translate all of my writing into English at someday.

I been observation for some issues included very personal`s  for days , now I `v got feeling to do , express my feeling , mind, what kind of a life puzzle I `v got and how I need to lines them up for filing in my brain and heart.

A filing , such business like mind but I need organise like cleans up my bed room and have to put away things I do not use for often, I need organise my paper work which has so much writing my words and other people`s opinions there, at here , such as so. 

My name is Miso, which is my nick name and a one of my nature and essence in the one human being as a female.

As Japanese, naturally I am comfortable with Japanese writing. 
Let me write in Japanese. Thank you so much.

God bless you.
Thank for letting me be to live


◯_一章で書いた『100人目の猿.....』という表現には、小馬鹿になどする気持ちはありません。
ある著作に『100匹目の猿』という題の本が出版されたことがありましたね。それに掛けただけのものです。
もし、見下した..などと気分を悪くする方がいましたら、次のように思ってくださるなら助かります。
三蘇は、頭に角がある牛さまの国に居まして、魔界のはしっこで、日本猿にも劣るがごとくに生きております。日本猿さんの方がず〜と、ましでございます_◯


      
Emishi Touhoku On My Mind
◎_東北生まれの女の思い_◎


Mind pictures of Southern and Northeast Emish
_二章_
◯_南人の想いと東北エミシの想い_◯




一章で書きましたMさん、Mと書くと英字の投稿名を使う方だと誤解も呼びます。みXXさんと、書き直して進めます。

初めて書きますが、

一章で書いたような、友達の砂糖漬けになったのかと思えた、そんな_ぶよぶよ_を感じてしまい、自然には彼女のコメントを読む気がおきませんでした。

会ったことはありませんが、もちろん心根が優しいのも承知しながら、それでも読めなかったのです。
ある時、無理して読んでみて、わたしなりに感じることがあったので、節介やきですが、意見をさせて頂きました。それが始まりでした。

かなり以前に、ブログ主が何か特別な言葉をみxxさんに贈っていたそうでした。

みxxさんの友や援護者たちは、その言葉に縛られて、そこから視点と心点を躍動させることができなかったのか。(そういうものを思いやりがあると勘違いして、英気や鋭気もれするパイプから目をそらした垂れ流しと、わたしは考えました。)

わたしはその特別な言葉を読んでもいませんでしたし、言葉を頂いたからと<今の怠けを擁護していては、腐らせます>という、そんな思いがありました。傲慢ね…多分に。

それでも、みxxさんは猫語が分かり、はにわのような顔をしているということですから、ブログ主はニャンダラ〜となる(笑)かもしれませんね。


それはそれで、コメント欄の様なのでしょう。

みxxさん、前より落ち着いた心境になったと思います。
彼女の父御が亡くなる前に、親御の愚痴を書くのが減った、治まったので、嬉しかった。


わたしには『この大事なタイミングを彼女は自覚していないように思える。でも良かった、亡くなる前に親に感謝できるようになって…』と、いう気持ちがありました。

それでも、互いに私信を親しく交わすことなど、有り得ませんし、したくございませんでしたが、
南の方の県に住んでいるみxxさんだそうですから、そういう何か説明ができない御縁で、
わたし内の何かが、
エミシ圏内の意識や記憶が、ゆさぶられるのでしょうか。日本の南と東北。古代の歴史に縁する何かがムクリと起こるのか





((ターミーネーターの娘という投稿名を使う方が、少しは別の見解からくる理由を知っていることでしょう。
娘さんの投稿の数々には共感しました。
御名前を出して、ごめんなさい、娘さん。))


そんな、あれこれを過ぎて....
そして今、一章に書いたように、そのブログのコメント欄を去っています。
去ると決めても猿さんにも成れない三蘇は、牛さんの世界に肚を据えて居座ってみる気持ちで、去ってみたら、初めてブログのコメント欄について、以前よりも、少し深く考えることができました。


ブログの基本的なテーマから思い出してみます。
軸を大きく簡単に分類すれば;

1/自宅での先祖供養と神祀りのたいせつさ

2/感謝の思いで日々を生きることのたいせつさ 

3/自身内の神の発現のたいせつさ

4/日本の精神性と1人1人の生き方などが日本と世界を助ける、ということを知るたいせつさ

5/健康を保ち長生きすることのたいせつさ

というように置かれていたと思います。
考察能力などに優れる人は、違う見解をもつかもしれません。

1/の核にある教えは ;

先祖の元は1つで皆の先祖が1つから生まれており
だから<つまりは、この世界には貴方1人しかいない、他人も貴方であり、宇宙の果てまで行けば貴方の体内に辿り着くことになる

自他一体であるから、他を傷つけるなら自身を傷つける。

だから敬いあいましょう、思いやり合ましょう、感謝で生きましょう、嫌なことを流しながら、微笑みを忘れないで明るく生きましょう>. . . . などです。

ですが、自他一体ということは、事があれば、遠慮なく何でも話し合える、ということでもある気がするのは、わたしの霊線の気持ち色、ひょっとしたら東北人の遺伝子をもつエミシ系の心もちなのかもしれません。

それを、あか抜けていない、洗練されていない、田舎臭い、濃い、など様々な見方をされても、これが、わたし、フーアイアム、わたし流ならホー哀編む

人間の歴史は、哀しみの多い歴史で、それを編んできた人間曼荼羅界です。

まだまだ続くとしても、何を慌てることがありますかね…。
慌てても、心磨きしないでいれば、ろくなことは起こらない。できませんけど、なかなかね....ほんとに。

心磨きはできなくても、先祖供養や神祀りや神社掃除をしていれば良いと思うなら、そうしていれば良いし、わたしは環境上唯一できる掃除を、心がけたいところです。

心磨き、苦手です。窓磨きでさえ、もう億劫で、

怠けたいわ.....だから、たまにしか、しません。体が億劫...

自分を見詰めるなんて、長年やりまして、これ以上はできませんよ。今は、精一杯。
それぞれの器量の具合があるのですから、仕方がないでしょう。

わたしなりの、タイミングで、見詰めるべき時にできるざんしょ..やれやれ..



<二度も彼女は注意されてます<とコメントをぼそりとしていた人がいました。

一度目は、ルームメイトのことなどを相談したさいに頂いた返事です。
それについての、見詰め結果を返信させてもらって済んでいます。
ごっちゃにする、間違った単純経路で、ぼそとつぶやくように書く神経が疑問ですが、そういうボソつぶやき流で生きているのでしょう。
そういう単純経路が、一番になんとなく流すウワサをまいて歩くウイルス菌に思えます。ボソつぶやき菌が、案外と効果を発揮すると思いますよ。後で大変なことで返すことにならないように....
....用心しましょう、互いにね....

あのわたしへの一言_自分を見詰めましょう_は、ブログ主と1人の読者の個人的な絡みによる、ブログ主のバランス上の駆け引き、天秤秤が買ったビジネス*マインドでもあると、わたしは勝手に解釈しています。
....それを買うには、何かを売るのです。が、こういう表現にひっかからないでくださいよ。先を読んでくださいませ。最後にもククリが出てきますので…。

危ないビジネス*マインドな言い方をするなら、わたしは売られたとも言えますが、売られた祓われた流された雛人形(可愛くない…シワシワ32才のお婆ひなでござーます)という観点一から、裏出た、肚割れた、と変換して、
<旅に出させられた>という観点二に変えることもできます。

これで、所点という美味いトコロテンができる。寒天観点でござんす。ところが、これは売れません。

_追記_ :売られた祓われたなら、その結果、買える=変えるものがあるということ。自ら所点を買ってみることに出て、トコロテンに変えて、美味しく頂けます。

今は両方の観点を選んで、勝手わがままな吟味中の項目にファイルしているわたしです。別名:おバカファイル。


吟味の1。ファイル名は【5%運動】

初めの縁ある崇敬者信奉者5%の人達は、ブログ主にとって特別】なのです。

この5%が達成できたということは、霊的にも要なのでしょう。
わたしは、その5%の中には入っておりません。出会った年度で分かります。

5%の中にはポリポリさんやルーシェさんなどがおられます。
無名でボソつくようにコメントされている人や、突き刺すような言葉を放つ人や、優しい声がけをしてくれる人などなどの中にも、多くいるのかもしれません。不明。
わたしたちには、見分けられません。
例えば、そういう中の1人と、わたしのような生意気で口うるさい、お節介やきの新参との絡み合いで、ブログ主は綱引きのようなゲームを終わらせたいときに、どうするか?

...わたしの場合のことではなく、仮に、古参にマイナス60%、新参に40%という、天秤秤での量り出しがあったとしても、大事な創始5%(長男長女)に数えられる古参(武士世界でいうなら家老)を叱咤したり閉め出すことなどしません。
新参には、新参なりの神仕組みの隅の方で、そうですね...次男次女、三男三女のようにたくましく、家業を継げないなりに生きていくように、進むしかありません。

外国流に呼び捨てのつきあい_くくり点太素も、そこに気がつきました。つまり、そういう観点に立つ縁にあるという意味であって、わたしたちが正しいとは言っておりません

ですが、その観点寒天トコロテンで言えば、名無しさんという方が、伊勢−白山道のコメント欄に書いておられたような『片手落ち』が、ブログ主にとっては完全最善のバランスのとり方だったのです。

初めの5%が成って、その磁気の拡散によって次のわたしの磁気が引かれてブログに来たのです。


それが、ブログ主なりの、自他一体であり、神仕組みというものの、実は不公平に見える公平なのでしょう。



次子を追い出すにもよっぽどのことが無いとできません。覚えが悪い新弟子を閉め出すことをもされないでしょうが、辛い点をつけられるかもしれないですね。

また、叱りやすい人を叱る、叱っても恨みに思わない人は叱りやすいかもしれない。

わたしなりに思うこと。
自他一体の裏表。ですが元来は善悪がないように、その裏表も1つの◎の中。

事態一体や実態一体でもあるような。

自他一体には、目と目で、言わずも解る阿吽の呼吸のソレもある。
では、顔を会わせないコメント欄では、どうするのか?
/わたしには、答えがありません。ルールはしくべきではないし、ボソつぶやきでも結局はかまわないのです。
どこに自分がひっかかるか、ひっかからないか、気になるか、ならないかそれが自分を知る秘訣になるかもしれません。/
以上の//内5行、訂正書き直しています

厳しさと優しさの、同じ天秤の左右のバランスが大事そう思います。排除や排斥の気持ちはいけません。なかなか、難しい課題ですけれどね。

自分自身の何かを排除排斥することになる。それが心宇宙の仕組みですね、きっと。それを感じます。

たとえ、初めの5%の中の1人だろうと、新参さんを嫌って外そうとするなら、後から来た人が不出来だとか、不浄や垢付きで嫌だとか、長いコメントで嫌だとか、個性があるのは霊性が低いとか..あれこれ思い込んでいるなら....そんな5%は腐る可能性があると思えます。

ブログ主がしっかりしていますから、幸福ですね

後から来る人ほど、ぎりぎりまで地獄のような苦悩と、助けもなく向かいあっていたかもしれません(わたしではありませんが)。そのような気持ちで、新参さん方を思いやりながら初めの5%が、謙虚に慎ましく在りますことを、祈ります。
中道。これは、中の今という今を生きるには、過去の経験に潰されないためには、間違いなく、外せない天秤秤の中心、真ん中です。感傷的では均衡がとれません。

ブログ主、伊勢ー白山道様は、叱っても凹まない人を叱り、引くようにするという、どこの界にもある、統合と治世のためのビジネス*マインドなる中道を選んだのでしょう。


強欲や欲からくるビジネス▼マインドではありません。


わたしがブログのコメント欄を必要としない時期にきていることも、見抜いていたのでしょう。事実、その感応がすぐにありました。


日常の掃除などよりも、もっと緊迫した問題を片つけて掃除する時です。そんなこんなで家中、荷物をひっくり返しの騒ぎです。

それを通過しないと、次へいかないので、荷物のそれはそのまま、必要でそうなっているのですから、では、心のファイルを整理しましょうということになったのでした。
というわけで、心の中のあれこれの記録も、あちこちに。
整理しながら書いているのです。


_第二章完結_続第三章へ_



生かして頂いて ありがとう御座位ます

Thank for letting me  be  to live

No comments:

Post a Comment